(QP) 不正は「株主ガバナンス」で止めるべきものではなく、内部統制の問題だ。いま日本に必要なのは、短期志向ではない株主ガバナンスの強化だ。本文はWedge Special Report(2016年3月号)を読んでの個人的な見解をまとめたもので、スチュワードシップ研究会で議論した成果でも研究会を代表する意見でもないことに留意されたい。

原丈人氏「ROEは欺瞞 中長期投資の流れ作れ」

「不正はガバナンスでは止められない」
まったくその通りで、不正は「株主ガバナンス」で止めるべきものではなく、内部統制の問題だ。広い意味でガバナンスに含まれるが、具体的には内部通報制度の確立が必要。株主や社外者のガバナンスは内部者の情報隠ぺいに有効ではない。また、米国で訴訟対策に作られたとの指摘は無視できない。法的には形を整えることは意志を示すこととして重要に違いないのだが、意志そのものが最も重要であって、形ではない。犯罪が増えて管理コストが上がる傾向は世界的に見られるが、米国では顕著かもしれず指摘は理解できる。

日本では「会社は社会の公器」だとの指摘も否定できない。同じ株式会社という制度でも日本、米国、ドイツなどそれぞれ歴史や地理的要件で積み上げられた違いがある。典型として、日本では、終身雇用制に依存した会社別の雇用体系、退職金による給与後払いなどが行われており、社会政策の役割分担は重い傾向にある。米国はこれを「忘れている」とする(日本が「正」とする)よりも、比較制度的に別の価値観とシステムに依存していると考えることができる。日米で法制度は似ているが、契約書の内容、厚さ、法的措置の使い方や頻度、判例などすべてが異なっているから、訴訟対策も当然異なる。株主資本主義の一言で以上すべてを説明できないとしても、M&Aが興隆した80年代以降の米国で、株主と経営者の関係をエージェンシー理論で捉える事が一般的になったことは明らかだ。

経営者がマーケットの圧力に屈することで不正を行う可能性は確かにあるし、米国に多い。Dichev, Graham, Harvey, and Rajgopalの「The misrepresentation of Earnings」Financial Analysts Journal, Jan/Feb 2016、は、CFOに聞いたアンケート結果を示している。利益を使って経営パフォーマンスを不実表示する動機を聞いたところ、驚いたことにもっとも多い答えから、「株価に影響を与える」「利益目標を達成する外部圧力」「同内部圧力」「役員報酬」などと続く。この後に続く項目はキャリア、負債要件などとなるのだが、要因上位はほとんどエージェンシー問題と株主ガバナンスの悪い面に関わっている。もっとも同様のアンケートを日本で行った場合、株価への影響を考える経営者が多いとは考えにくい。独VWの件もドイツから出る事件としては驚いたが、日本の平均的な企業よりは創業家やカタールなど特定の「株主の影がちらつく」のかもしれない(一般に欧州やアジアの実証分析では創業者が関わる企業のガバナンスは良い傾向にあるのだが、個別事案には個別の事情があるということだろう)。

その後の経営者インタビューに示されるように、そもそも日本の経営者が株主や株式市場の圧力で「チャレンジ」などと称して利益目標を高めに設置し、従業員の不正を促しているとは考えにくい。東芝に関する調査はまだ継続していると思われるものの、これまでのところそのような趣旨が示されたとも思われない。

ところで「株主の支持を取り付けるには、経営者は、数値目標を掲げて、短期的な利益を追求しなければならない」という指摘は、標準的なファイナンスを基礎とする表現としては間違いだ。適切な内容の数値目標は、一般に情報の非対称性を減らす良いことと思われる。さらに、多数の株主や潜在株主が経営の打ち手を「短期的な利益の追求である」と認識した途端、株価は低迷し短期的投資家は利益を上げられないはずだ。企業評価では「短期的な利益増大=長期的な利益の縮小の可能性」とすれば評価を引き下げるからだ。ファンドなどがリターンを(会社の設備投資の回収期間と比較すれば一般に)短期的に回収するとしても、その観点は(インサイダー取引や情報操作など違法行為を排除した上で)「長期的視野に基づく価値」の短期的な変化による。

増配はその典型的な例だ。増配は権利落ちで株価を下げる。権利落ち後の理論価格は権利付き株価から1株配当を差し引いて求められる。これは市場参加者の常識であり、増配を「短期的」と批判する人がしばしば無視する点だ。増配で株価が上がるケースは、そもそもそうすべきであるほど現金が非営業資産となっておりそれを還元する、という経営の変化があり、それが長期的に続く(例えばその経営者の任期程度に)と思われる時だ。ユシロ化学やソトーの増配後の株価がリーマンショック前まで持続したのは、株式市場が長期的な資本効率改善が短期的に起こったことを知って株価評価を変えた結果と解釈できる。イベントを狙うヘッジファンドは確かに短期的な成果を追求するが、彼らが大きな利益を上げるのは、市場参加者が同意できるイベントがあった時であり、長期価値が短期に上がったと多数が推察できる(上がった株価で買っても適切な配当になったことでリターンが適切に得られると信じる)場合だ。

(新自由主義に基づくグローバリズム礼賛のような意志・思想ではなく、通信コストの革命的な低下などで自ずと起こるという意味で)グローバル化が株主資本主義を世界に広げる傾向はあるだろう。市場メカニズムと言う共通語で経済を動かすことがより効率的な経済社会につながると多くの人が思うからだ。グローバル化で分断が減り効率化する株式市場で株主の違法ではない短期的利益があるとすれば、「長期的な価値変化」が短期的に起こる時となる。分散投資がもっとも便益が高いはずの「投資家≒機関投資家」は、市場平均に近いポートフォリオを持つと想定できる。投資家は、リスクに応じたリターンを配当と内部留保の再投資への期待に基づくキャピタルゲインから得る。たまに経営の変化による資本効率の改善、新商品、新販路、低コスト生産などへのイノベーションが起こる時に、短期的な変化の成果を得ることになるにすぎない。資本効率をイノベーティブに改善したソトーやユシロ化学はその後リスクに応じたリターンを適切に供給すると市場参加者が期待できたので、株価が維持された。これは新商品などによるイノベーションと企業価値の意味では同種と言える。

長期にわたる研究開発が株主の価値にならないはずがない。長期の投資負担が既存事業継続を破壊するほど大きくなることはできない。それゆえ、企業の継続性が(リスクに対して十分なリターンを背景として)認められる限り、株主は、同業他社や業界の歴史なども勘案して研究開発に夢と希望を持つはずであり、株式市場ではその夢と希望を株価に反映させて取引させることになる(これが特定株主の「保有期間」を問題にする必要がない理由だ)。それゆえ、株式市場参加者(株主のみならず潜在株主)が研究開発に同意できないとすれば、経営者が夢と希望を十分に伝えられていないということになる。経営者への誤解などから研究開発を「しないほうがよい」という短絡的な判断を行う投資家が一人もいないとは言えないが、株式市場が長期にわたり誤解するとすれば、質的情報開示が不足する証拠かあるいは経営者が間違っている可能性がある。もっとも、効率的な市場であれば、間違う経営者は短期的に株主によって交代させられ、長期的価値創造の短期的な変化が起こるのだが。

「ショートターミズムが実体経済を破壊する」
一般に株主のショートターミズムが強まり経営者に誤ったシグナルを伝えれば、実体経済に悪影響はある。ただしここで描かれた愚かな投機家(製造業の研究開発を嫌う、流通業と製造業などを無条件に比較する、配当還元を強調する)は存在するとしても市場参加者の主力として株価を形成するケースは一時的かつ特殊でしかない。資本コストはリスクに応じたリターンの要求なので、流通と製造など別業種を比較するとしてもリスク評価が異なるからIRRの単純比較をするとは考えにくい。IRR(期待リターン)格差がリスクで適切に説明できるかが評価作業となる。また合理的な投資家は事業環境の相関も評価の対象にするはずだ。IRRが低いことを存在意義がないと切って捨てるなどないことは、すでに世界中の株式市場に流通業が存在していること自体で証明されている。研究開発や配当についても前述の通りだ。

日本での株主資本主義強化が短期志向に陥る、その典型が伊藤レポートであるという指摘は、日本の状況の認識の違いに依存している。フィデリティ投信の「企業が資本コストを上回るリターンをあげる見込みがない場合には、配当支給額を増やすか、あるいは自社株買戻しによる株主への資金還元を望みます」という文章の解釈において、「中長期的な事業収益の成長とは何の関係もなく」としたことは誤認だ。「資本コストを上回るリターン」とは、リターンすなわち配当と内部留保が作る将来の配当期待の和がリスクに応じた程度になるという意味であり、本質的に中長期的だ。投資家の指摘は、仮に内部留保しても中長期的な意味でのROE改善が望めない(ROEの分母が膨れても分子が増えないことで効率が悪い)のであれば還元するべきだ(結果として消費あるいは別の機会への投資で経済が活性化する)と主張しているのであって、今年度や来年度のROEが一時的に増えるか減るかを問題にしているのではない。2000年ごろからデフレに苦しむ日本では、企業が多額の現金を非営業資産に滞留させて資金の目詰まりを起こさせたことが記憶に新しい。ROEが8%に満たないから配当してROEを高めろという伊藤レポートの読み取りは、そう読めなくもない部分があるため同情できる。しかし、フィデリティ投信文書をファイナンスの観点から適切に解釈すれば「中長期的な事業収益の成長が望めるならば還元せずともよいが、とりあえず見えないのであれば留保に値せず還元する」ことを求めている。株主が適切に要求することでデフレ的な経済が良くなると展望できる。

伊藤レポートや株主ガバナンス強化の要請は、そもそも日本企業の稼ぐ力の弱さのため少子高齢化やグローバル化の中で日本経済が生き残れないのではないかとの危機感に基づく。株主が貯めこみ過ぎた企業の非営業資産(この認識の有無が解釈の差につながる)を株主ガバナンスを通じて適切に分配させる努力をすることで、日本の資本効率が改善する。結果として企業価値ひいては株価が上昇する。一見「欲張り」に見える行動が見えざる神の手を働かすはずだ。

米国に還元策や社外取締役の行動で悪い例が散見されることに強く反論しない(極端な例示のみだと誤解を招くように思えるが)し、社外者が従業員など経営者以外にも報酬を適切に支払うことを監視すること自体にも反対はない。従業員、債権者、経営者、株主同士などの利益相反に社外者の活躍の場は多いかもしれない。しかし、現状の日本では、株主の権利を適切に守ることの方が、経済を良くする可能性が高い。

「ベンチャーが支える米国の真似は危険」
米国などとの歴史や価値判断の違いを強調するのであれば、日本の現状認識とどの制度をどう調整すればよりよくなるか(あるいは構造問題はない、改善の必要がないという認識なのか)を明示する必要があろう。

欧米の大企業が中長期的な研究開発をやらない、社会的にはベンチャーが担っているとの指摘は適切だろう。そこにはベンチャーへの潤沢な資金フローがあり、最終的に大企業とのM&Aをゴールとする考え方も確かにある。大企業のガバナンスは株主中心で効率重視でも良いが、ベンチャーには目先の効率よりも夢と希望に賭ける資金が流れ込むと言えないこともない。日本がこれをそのまま真似しているとは思えないがするならば良くないことに賛同できる。

しかし東レの例は、まさに問題をうまく表現している。日本では最初から大企業が研究開発をする。成果が出るには40年以上かかる。しかし、このような例は日本企業のROEが長期にわたり世界に劣後した理由ではない。そもそもどの企業でもこのような研究開発コストは、40年前には企業の損益を揺るがすほど大きくはなかった。成果が確かなものとなってくるにつれ銀行や社内外に説明可能な程度に投資を増やしていく。米国の大企業経営と日本企業の研究開発への視線が違うとしても、結果として米国ならばM&A可能な規模であり、日本なら成果の期待に応じて適切な規模の投資額となる。会計処理が違う(現在の米国では買収を費用処理しない)としても、キャッシュアウトと資本効率の点では中長期的には同じことだ。確かなものになってから買収すれば金額は高くなる。

世界の同業他社トップが日本の経営をうらやむのは自分が決めて進めたいからだろう。ファイナンスの意味で本質的に同じだとすれば、経営者が楽しみのために研究開発を自分のものにすることが「良いこと」になるとは限らないこともわかる。良いか悪いかは結果であって、うらやましいかどうかではない。うらやむ環境がお手本となるとも限らない。もちろん経営者へのインセンティブ付けは重要で、その意味で日本的経営が良いという判断は可能だ。そうであれば結果として日本のほうが全体として稼ぐ力が欧米企業よりあるはずだが、実際を見るとまったく逆だ。日本企業は、全体として結果を出していない。欧米をまねることは目的ではないが、同じリスクを要する事業を行うならば、同じ程度のリターンが期待できないのであれば存在価値がない。その疑念を振り払うときに「ベストプラクティス」と呼ばれるに値する経済と経営が見出せる。

「中長期投資を世界から呼び込む」
米国と日本が価値観の違いとそれに基づく仕組みの違いの上にあることは疑いの余地がない。それが短期的投機家にとって都合のよいエコシステムであり、短期的投機家が米国大企業を悪い方向に導いている可能性はある。ただし長期的に繁栄している米国経済(経営者が高い報酬でも住みやすいとは言えないが)は、単なるショートターミズムの投機家が多数派ではないことを結果として意味している。そこにはプライベートエクイティやベンチャーキャピタルも含める必要があるのだろう。仕組みの違いを考慮すれば、全体をよく俯瞰する必要があることが分かる。

日本の会計制度や法、税制などを変えることで、米国でベンチャーなどを支援するのと類似の資金が集まるかどうかは分からない。それに現状の日本の問題はそもそも資金が足りないこと自体ではない。大企業も含めた多くの会社(東証1部金融除く半数以上)がネットキャッシュ(負債をすべて返せる現金を持つ)状態だ。種類株による株主の分離が流動性に悪影響を与えることはすでに見出されているが、普通株であれ保有者の条件づけをすることに効率性を増す可能性はない。保有期間と長期的視野の違いは別の指摘に譲る(「長期保有と長期的視野の違い」http://stewardship.or.jp/blogpage/)が、保有期間が長いほど配当が多いという政策は、株式会社中心の資本主義では間違った仕組みだ。

ROEが経営を表現する指標として(経営の目標である必要はないが)重要である理由は、そもそも会社がゴーイングコンサーンであること、ROEが内部留保を通じて価値を維持していくことに依存する。つまり本来ROEを考えることは今年や来年のROEではなく、長期的なROEを考えることだ。ノーマルな状態(景気の上下動から中立、既存事業の適切な供給力のみを想定)のROEを株主が想定し、同じリスクを持つ別の企業と比較することでこの企業の存在を経営者に問いかける。Long-term ROEが重要であることはこの意味でファイナンス理論と整合的であり、新たな指標を必要とするというわけではなく、どのような視野を持つかだけが問題なのだ。

社外取締役は、現在の日本においては、ほとんど無視されてきたことで資本効率の悪化を放置してきた株主の利益を経営者が適切に考えているかを監視する必要がある。これはバランスの問題であってそれだけを仕事とする必要はない。まさに「CEOがリスクを取って次代の事業の柱を作ることができるように背中を押す」ことと、もしそのような機会に乏しいにも関わらず既存事業の収益が高く非営業資産でぶよぶよになったバランスシートを見かけるならば、過去に付加価値を生み出したことに誇りを持ちつつ資本効率を適切にするように株主に還元することを助言してよい。これには多くの中長期投資家が共鳴するはずだ。

いま日本に必要なのは、短期志向ではない株主ガバナンスの強化だ。なぜならば、右肩上がりの経済で大事だった規模と安定よりも少子高齢化とグローバル化で必要な効率と成長を求める経済主体は、唯一株主だけだからだ。株式会社中心の資本主義において、会社が中長期の投資と現在の経済への付加価値の還元とをバランスよく実行することは、株主のリターンについてガバナンスを通じて適切に要求されることで実現する。短期的なROEに振り回される株式投資家は少数派で、長期的に淘汰されることに株式市場参加者は自信を持っているはずだ。

(1) 2016年3月16日版

ペンネーム:QP