投函者(三井千絵)

英国はどこへ

英国はどこへ

 金融庁は導入以来の海外投資家の要望に応え、コレクティブ(コラボレート)・エンゲージメントの強化を目指しスチュワードシップコードの見直しにはいる。また2024年3月から議論がはじまっているサステナビリティ開示基準の有価証券報告書への適用は、はじめて特定以上の企業に義務化する方向だ。これまで東京証券取引所の上場規則となっているコーポレートガバナンス・コードでは、プライム上場企業とその他で適用のレベルを分けることはあったが、企業の規模にあわせた開示要件(いわゆるプロポーショナリティの考え方)は、有価証券報告書にはこれまでにないものだ。

 このように日本の対応がグローバルとのギャップを埋めようと取り組んでいるときに、日本が2つのコードや企業開示でお手本としてきた英国では、この7月にあたかも逆をいくような上場規則の改訂が行われた。

 今回の上場改訂について、ロンドンの関係者からは「きっかけはIPOの落ち込み」という声がよく聞かれる。コロナ前から、あえて英国で上場を選ばない企業が増えていると関係者は懸念し始めていたが、昨年アームが上場市場に米国を選ぶと危機感は最大になった。ロンドンでの上場を魅力にするためにさまざまな見直しが行われたが、そのうちのひとつに「プレミアム」と「スタンダード」の2市場を1市場に統合するというものがあった。ロンドンが上場市場として選ばれない理由のひとつに「コーポレートガバナンス・コードが厳しすぎるからではないか」という意見があり、適用直前にロンドンの投資家に聞くと、これでこれまでプレミアムの企業だけに義務化されていたコーポレートガバナンス・コードは、全体的に適用が甘くなるのではないかと心配する声が聞かれた。

 

議決権への影響の懸念

 ある年金基金やロンドンベースのグローバルな資産運用会社で長い経験をもつコーポレートガバナンスのエキスパートは、「ひとつは報酬だと思う。英国ではコーポレートガバナンスコードで、CEOと従業員のペイギャップの開示が求められたり、CEOの報酬が高いのは問題だ・・・というムードが高まっていた。これが嫌だという企業はあるかもしれない」と感じている。「しかしアームが米国を選んだのは、米国のほうが半導体産業に対する理解があり、自社がちゃんと評価されると考えたからではないだろうか」と、今回の対応の効果には疑問を感じている。

一方、ロンドンの年金系投資家団体が問題視しているのは議決権に関する影響だ。

7月中旬にその団体が開催したワーキンググループにオブザーバー参加した。アジェンダの一つは、今回の上場規則の改定による議決権行使への影響だった。

英国の上場規則では、企業が25%を超える事業を売却/購入する場合、株主の同意を得る必要があった。しかし今回の改定でこの部分は義務ではなくなり、代わりに開示を強化する改訂となった。また関連当事者(一定以上の議決権を持つ)場合、利益相反のある取締役候補者の決議に対する議決権が停止されることとなった。この2つは、これまで機関投資家が議決権を持って企業のコーポレートガバナンスの改善を求めてきた、その仕組みを弱めるのではないかと危惧していた。

スチュワードシップ・コードやコーポレートガバナンス・コード、そして企業開示の担当当局Financial Reporting Council(FRC)やFinancial Conduct Authority(FCA)は、今回の改訂が開示の強化も行なっているので、機関投資家は引き続きエンゲージメントを行うことができるというスタンスのようだ。それに最終的に機関投資家は、取締役選任議案を握っているため、事業の売却といった個別の事案ではなくトータルでは企業のガバナンスに対する発言力は損なっていない。投資家団体でも今は慎重に影響を見ていくという姿勢だ。7月15日から3日間ロンドンで開催されたグローバルな投資家団体、International Corporate Governance Networkのカンファレンスでも複数のパネルでこの話題が取り上げられ、コーヒーブレイクでも話題になった。もちろん多くの投資家は懸念はありながらも、「何かしなければならない」と理解している。問題はこれが効果的かどうかであり、また英国市場の良い面をそぐことにならないかを懸念している。ただFRCもFCAも地元投資家とよく連携し対話をしているように見受けられた。

 

スチュワードシップ・コードの今後

もうひとつ、地元の投資家が気にしていることが同じ7月に発生した。英国のスチュワードシップ・コードは、2010年にFRCが担当した時からコレクティブ(コラボレート)・エンゲージメントを重視してきた。英国もパッシブ運用がふえ、投資先一社ごとの保有比率も低く、逆に投資家1人が担当している企業数が多くなり、エンゲージメントの効果が薄れることを懸念したFRCは、コスト対効果を鑑みコレクティブエンゲージメントを積極的に取り入れるようそのコードで投資家に求めてきた。冒頭に記載したように、この英国のコードに慣れた海外の投資家は(グローバルの投資家はの多くが英国内でも運用拠点を持っているなどから英国のスチュワードシップコードを受け入れている)、日本のスチュワードシップ・コードが導入当初からこれを重んじず、場合によっては5%ルールに抵触するかのような不安を投資家に与えてきたことを問題視し、長く改善を求めてきた。

 そのFRCは7月に、スチュワードシップ・コードを受け入れた投資家に対し「暫定的な変更」という文書を発表した。これは大きくは、コードを受け入れた投資家のレポーティングの負担を軽減するために、いくつかの明確化が必要な点を記載したものだ。そしてこの中で、コレクティブ・エンゲージメントについては「必要な場合」という文言を追加しハイライトした。

 英国で活躍する投資家の多くは、米国にも拠点があるが、昨年米国のいくつかの共和党系といわれる州で、気候変動に関する株主提案に多くの投資家が賛同していく行動を「反トラスト法に違反する疑いがある」という指摘が行われた。今年6月、下院の司法委員会は同件について中間報告を提出した。その中では株主提案に関わらず、気候変動に関するエンゲージメントにおいて議決権を利用し、”カルテルを結んでいる“と指摘された。その為投資家の中にはFRCは米国系投資家のために、この一文を加えたのではないか、と考える人もあった。

 

 英国も様々な課題の中で、一見これまでと違う取り組みもしている。しかし重要なのは市場と常に対話をして進もうとしている点だ。この後FRCはスチュワードシップ・コードの改定作業に入る。英国のコードは日本企業にも影響を及ぼす。引きつづき英国の動きに注目していきたい。

 

 

追記)

この記事を書き終えた後、英国の投資家の一人にファクトチェックを依頼した。彼女はうなづきながら読み終わり、「重要なのはコンペティティブネスだ」と言った。英国の市場が選ばれなくなったのは、制度やコードが厳しいからではなく、英国市場で適切に評価されないと思うようになったからだ、ということだ。それは日本同様パッシブ投資家が増えているなかで、新しく上場する企業の評価が難しくなっていったということだろうか。振り返って日本市場はどうだろうか。今年政府や金融庁が進めてきた資産運用業の高度化は、日本市場の競争力強化という面でも必要な取り組みといえるのではないか