(QP)伊藤レポートの8%はそもそも分かりやすさのために提示された。マーケット・インテリジェンスの要素として企業価値創造のプロセスを理解することと最適な財務戦略を策定することという指摘は大変重要だ。本文はWedge Special Report(2016年3月号)を読んでの個人的な見解をまとめたもので、スチュワードシップ研究会で議論した成果でも研究会を代表する意見でもないことに留意されたい。

手島直樹氏「守るな「ROE8%」市場と対峙を」

「ROE目標8%、配当性向3割、複数の社外取締役」

このような企業の問題は「経営者は自分でしっかりと考えた上で意志決定しているのかと不安になる」ことだという。株式投資家はそもそも経営者に経営の意思決定をゆだねるのだから、自分でしっかりと考えていないとすればやはり問題に違いない。

伊藤レポートのROE8%「目標」を、この部分だけ捉えれば、確かに「この目標値は個別の業界や企業のリスク等の特殊性を考慮したものではないため」「5%で十分な企業もあれば、12%でなければならない企業もある」ということはまさに正しい。(1)で述べたように、リターンの要求はそもそもリスクに応じて決まるので、固定的な数値を目標とする必要はなく、伊藤レポートの8%はそもそも政治的な意味(分かりやすさ)でしかないと捉えるべきだ。

配当性向3割については、日本の平均を取り上げているが、「個別企業の成長性やリスクを考慮すれば」配当性向を一意的に決められないのは当然だ。ファイナンスの観点では、企業のサステイナブル成長率(ROEを維持する利益成長)は内部留保の意志決定で表現される。既存事業の規模をオーガニックに成長させるこの成長率は、内部留保について株主が最低限(現状のROE維持を)要求するキャピタル・ゲインの源だ。このROEは「今年の」「来年の」特殊な事態のROEを意味せず、ノーマルな想定上のROEであるから、(1)で述べたように原氏のLong-term ROEとも同様の意味づけで良いと思われる。伊藤レポートは平均値を推奨しているわけではなく、基本的に経営者の自覚を期待しているにすぎないので、数値批判はあまり意味がない。伊藤レポートの政治的表現を批判するのは可能かもしれないが、数値目標の誤用で具体的に失敗した会社が多いとも言えそうにない。「横並びが生じてしまう」とすれば企業の誤りと伊藤レポートを含む市場参加者と企業とのミスコミュニケーションとなるが、数値が話題になったほどに、具体的に経営の打ち手を変えて失敗する例があるとはいえそうにない。

上場する「企業の使命は稼ぐこと」だが、株式市場と関係を維持して「経営とファイナンスの『二刀流』が求められる」ことだとの指摘は適切だ。持合いの歴史(とそれを生み出した価値観や都合)やマーケット不信でマーケット・インテリジェンスが不足しているという点も同意できる。ただし経営者が投資家にマネージされているという認識は行き過ぎに見える。言葉の上で8%とか3割を気にする経営者が増えたとしても、実際の経営の打ち手が変わったという印象がほとんどないからだ。

マーケット・インテリジェンスの要素として企業価値創造のプロセスを理解することと最適な財務戦略を策定することという指摘は大変重要で企業にぜひ行っていただきたい。価値創造のプロセスとは、売上増、営業マージン拡大、必要な投資、結果としてのキャッシュフロー増大となる。価値創造はおおむね売上やコストに関わることに依存するので、株主など外部者が適切な手段を持つとは思えない。経営者の適切な選択と行動が重要となる。

「アクティビストに物言わせぬ上場企業としてのエチケット」

競合他社との比較で「投資家と同じような客観的な視点」を持つことも適切だ。企業の存在価値は社会への商品やサービスの提供にあるが、他の会社が同じ場所と時間でより安く簡単に行えることをやっても価値がない。他社との比較はどのようにお金が流れるか(ファイナンス)が決まる本質的な問題であり資本コストと密接に関わっている。アナリストなどは企業の経営方針などに興味を持つはずだが、その理由はROE分解を通じたドライバーの特定と経営の打ち手が読めることが重要だからであり、数値的な情報(目標や進捗)もその具体化の一つの表れとしてモニターされるはずだ。

ROICやKPIも数値だけが先走りすれば意味を失う。ROEも同様で「一本足打法」では使う方も見る方も意味をなさない。ここで指摘された「ROEは結果であって目的はない」という言葉は経営の現場で重要で、かつROICもKPIの進捗もまた目的ではない。経営の目的は、会社の知識や人材の蓄積を生かして社会に求められる商品やサービスを効率的に提供ししかも金銭的に交換可能な価値を生み出してステイクホルダーに分配することにある。従業員は労働市場に応じて分配を受け(終身雇用であっても賃金決定において無視できない)、銀行は金利を受け取り、株主は配当と内部留保が生み出す将来の配当期待の変化からリスクに応じたリターンを受け取る。ファイナンスの面から見るときに、株主に分配される成果はROICやROEの形で見えることになる。

ROEの目的化すなわち「悪いROE」が投資の不適切な削減や不要な自己資本圧縮を意味することは分かる。一部の理解不足の投資家や経営者が誤解した過去もある。だが、誤解した経営者は(悪い)ROEを嫌ったのであり、誤った経営を行ったとの例は日本では(運よく)寡聞にして知らない。それ以上に多かったのは「ROEとROAはどう違うのか」と言った程度の議論だった。持合いや系列化などで資本の効率的な利用を完全に棚上げしてきたことで、経営者も株主もリタラシーを失い、内部留保が価値創造の基盤となり経営の打ち手が稼ぐ力を通じて価値を生み出すことを忘れてきた。株式会社中心の日本の資本主義経済は、米国アクティビズムが大挙して上陸した2004年ごろまで、株主重視どころか経営者中心主義を強める一方だった。アクティビズムに物を言わせぬ力とは、まさにインテリジェンスに基づき適切に経営とファイナンスの意思決定を行うことだ。それまでの日本がそうでなかったことは、2004-2005年ごろの「騒ぎ」でひととおり示された。

一方でファイナンスに直接の意志決定が行われるのが「必要な投資」の部分となる。売上を伸ばすためには在庫が増える(資産)ことが必要で、そのためには資金(負債か資本)が必要となる。この単純な図式を十分理解しない経営者や投資家が多かった。内部留保はオーガニックな成長の源だから「必要な」分だけ取り置くことになる。財務戦略は企業の成長戦略と緊密に関わって策定されるはずであり、単なる安い借金獲得の技術ではない。

投資家にマネージされる財務戦略の例として、リキャップCBや利益全額還元が挙げられている。「中には「ROEゲーム」に翻弄されているような企業もある」とのことだが、それ以上にボラティリティショートで金利負担を減らすことに血眼になってしまう企業と投資銀行家のほうが目立つ。

まず利益の全額還元のケースはほとんど投資家が正しいように見える。どの企業も非営業資産の蓄積が長年積み上がり、内部留保しても投資先が見いだせていないことが明らかだった。経営者としては成長機会が見いだせないと口に出すことは適切ではない。だが、企業はどんなときでも成長しなければならないという成長神話に翻弄される必要はない。既存事業からの利益をリスクに応じて株主に分配することは、株式会社のファイナンス的存在意義だ。内部留保がもたらす将来の配当への期待が極めて低い状態にある場合、利益の全額配当や無駄に蓄積された非営業資産の還元が適切な場合はデフレ下の日本では多かった。JPX400指数の導入の「表彰効果」で誤ったROEの理解が関わった可能性を否定するわけではないが、結果として過大な配当が行われたケースは見いだせない。

リキャップCBは株価が上昇するケースが多かったことは確かだが、いつでも株主にとって良かったとは言い難く、投資家のマネージとは考えられないケースも多い。この例ではリキャップCBの資金が自社株買いに使われるという想定のみを扱っているが、多くの場合、通常負債の返済、新規投資などへの資金利用が複合的に想定されている。株主に良い(それゆえ経済効率に貢献)リキャップCBは、そもそも内部留保が無駄に蓄積されリターンの源泉となりにくい状態の企業が、CB発行で負債比率を元に戻して利益機会のレバレッジを高める一方、普通社債に比べ低利の負債を長期に持つことで資金繰りを安定化する。さらにCBであることで、資金利用で企業価値上昇が確かめられれば株式へ転換が進み返済がなくなるうえ利益成長で希釈化はしにくく、企業価値が下がれば転換が進まないので希釈化しにくい。このようなケースはいくつかあり、資金利用の目的が市場参加者にも同意できれば株価は上昇する。この時、自社株買いが発行するCBのデルタ分程度と適切に行われることで、株式市場のヘッジを吸収しボラティリティを拡大しないことも重要だ。

リキャップCBの悪い例には、自社株買いを少々つけるとしてもおおむね既存の普通社債などを期中で返済するケースがある。負債を単にCBに転換すれば、潜在株式が増えるためデルタ分程度の売りが出るが、自社株買いが不足して市場のボラティリティが上昇し、既存株主の損切りを誘ってしまう。過去の高い金利の負債を減らすことや、CBであることで希釈化に一定の歯止めがかかることはメリットとして残るが、ここでは低金利獲得のために会社がボラティリティショートのポジションを取ることになる。資金利用目的に成長ストーリーが不足し、株価下落で転換が進まない。このようなケースもしばしば見かけた。

会社経営でベータやらデルタやら投資理論を知る必要はあまりない。資本コスト、株主還元(つまり内部留保)、結果としての資本構成などが相互に結びついていることを知っておいた上で投資判断の説明が可能な限り(インサイダーにならない程度に)説明できればよい。エンゲージメントのあるべき姿のひとつ(他の問題があることもあろうが)という点に同意する。

日本企業への懸念として、稼ぐ力と財務戦略がプロセスの理解とインテリジェンスを使ったコミュニケーションという点でリンクしていないという指摘はそのまま同意できる。リキャップCBの例でみたように、どのような成長ストーリーに基づきどのように内部留保・資金調達を行うかがファイナンスでは重要だ。生保協会調査の通り、日本企業は(悪いROEを嫌うためなのかもしれないが)ROEなど資本効率をそれほど気にせず行動してきた。しかし少子高齢化とグローバル化に対応する「稼ぐ力」は、規模ではなく効率を求める。日本企業のなかには、競争力強化を単に商品性能だけに求めるなどの失敗を積み重ねたケースも見られた。内部留保の提供者である株主と他社比較などの価値創造プロセスでうまく対話できればより適切な方策が生まれることも期待できる。

伊藤レポート以後財務戦略が変わったというよりも、デフレが長引き、企業の非営業資産が蓄積されすぎて、いくつかの方策が見られるようになったと言える。株主が目先のROE改善を求めるというよりも、不適切な非営業資産蓄積をROEという言語を通じて適切にしようとしていると解釈した方がよい。株主は短期的、経営者は長期的、というステレオタイプな見方は、問題の把握を誤る。これは時間軸の問題ではない。

バークシャー・ハザウェイの例は長期投資を描く時にある部分適切だ。投資先の1株当たりの内在価値(つまり今年や来年のROEではなく内部留保で期待される成長を加味した価値評価)が持続的に上昇することで株主は長期に株式を保有できる。株主はリスクに応じたリターンを求めるにすぎない。持続的な価値創造とは(言葉の定義が明確ではないがたぶん)常に株主が通常期待する程度以上のリターンを創出し続けることを意味する。そこでは発想や企業経営のイノベーションがそのベールを脱ぐたびに株主に追加的なリターンを与えていく。バフェットが特殊なのは、投資先に自ら取締役などとして関与するところだ。これは分散投資や均衡の概念からは外れているので、一般論にはできない。

「誰が長期的に企業を支えるのか」

バフェットの方法が「持合い」であるとの指摘は、投資先の経営に関与することと関連するのかもしれないが、持合いは多くの場合議決権の棚上げに使われていたのでよい比喩ではない。バフェットはソフト・アクティビズムに近いのではないか。

配当割引モデルに示唆されるように、経営者と株主の情報の非対称性がもっとも低い配当政策は配当性向一定であり、財務政策は負債比率一定だ。一時的な「逆」財テクまがいの「財務戦略」で短期的な投資家を近づけることはそもそも合理的な投資家が形成する市場では不可能だし、何らかの情報や期待の操作を含まずして実現はできないはずだ。

別に議論されているように(http://stewardship.or.jp/blogpage/の「長期保有と長期的視野の違い」参照)長期に保有することと長期的視野とはまったく別のものでありかつフランス政府の政策などを考慮すれば、仮にルノーと日産が良くてもルノーと政府の「長期的」関係は企業価値破壊的となる恐れがある。長期的な株主のコミットメントとは長期的視野であって長期保有ではない。結果としての長期保有の中の一部がバークシャー・ハザウェイの意味で価値創造と高いリターンの生成に成功したにすぎない。また市場の機能不全をさけるためには、株主を限定する特殊な方法や配当優遇などをすべきでもない。株式投資家は各自の投資期間がある一方で、市場の適切な価格での譲渡可能性がフレキシブルな投資資金(内部留保を含む)を企業に利用可能にする。この意味で、株式制度についてインテリジェンスを高めなければ、投資家と会社が適切に問題を把握しても、間違って対応してしまうことになる。

 (2) 2016年3月11日

ペンネーム:QP