(QP)そもそもガバナンスを強化するように要請していたさまざまな組織(投資家も企業も)が形式主義に陥っていたことを反省するべきだ。本文はWedge Special Report(2016年3月号)を読んでの個人的な見解をまとめたもので、スチュワードシップ研究会で議論した成果でも研究会を代表する意見でもないことに留意されたい。

 編集部「東芝事件は「ガバナンス」の問題に非ず」

「不正会計事件」

東芝は委員会設置会社をいち早く採用しておりその点(形式への対応力)でガバナンス優等生と呼ばれても構わないが、そもそもガバナンスを強化するように要請していたさまざまな組織(投資家、企業など)が形式主義に陥っていたこと(精神より形式を語る傾向)を反省するべきだ。社外取締役を多数とし、委員会を設置し、経営執行と監督を分離する。そもそも米国で「指名」「報酬」「監査」についてさまざまなエージェンシー問題が起こったことから始まったこの制度が、形式を導入することで日本の低収益性や会計不正を変えることと関係するわけではない。

ここで指摘された通り、そもそも経営者不正や会計不正は社外者が見つけると期待されるものではない。産業界や監査のみならず株式市場もそう思うだろう。会計制度の複雑さが原因の一つの可能性はあるが、そもそも悪意がある(真の原因)ところを会計制度(形式)のせいにはできまい。これまでのところ東芝自身の調査を新聞報道で見る限り、不正と株主ガバナンスの短期主義との関わりが指摘されているわけではないようだ。「チャレンジ」が外部からの圧力で行われたとの認識は関わった取締役などの話からは出ていないと認識している。一般に内部統制の観点からの不正防止は、内部告発制度が有効とされる。告発者の個人情報を守ることを約束した社内・社外(東芝の場合金融監督官庁への告発とされる)への告発制度が多くの企業などで取り入れられる必要があるのだろう。

「攻めのガバナンスとアベノミクス」

記事の伊藤レポート解釈として、長期的にROE向上を目指すという言葉遣いからあえて「足下のROE改善を促す」という解釈に至った理由は不明だが、ROEという言葉がそれだけ「今年のROE」を意味しており、バリュエーションの元になるノーマルなROEを想定していないということと読み取れる。そのために社外取締役が株主の代理人として機能する、という点も、短期的な財務政策としての無意味な(分析のない)増配で株主の目先の得となる(通常配当は権利落ちで株価下落となるのだが)ように口をはさむという解釈になっているようだ。確かに社外者ができることは経営の打ち手を繰り出すことではない。「攻めのガバナンス」が社外者の観点から平均的な日本企業に対してできるとすれば、持合いなどで非効率な取引先の固定がないか、内部留保を無計画に行って非営業資産を貯めこんでいないか、など、社内者が持つ株主との利益相反をモニターしていくという間接的な部分だった。もし直接的な部分があるとすれば、役員報酬の利益等とのリンクや経営者選択における積極さの評価システムなどシステムの導入と監視がありうるが、平均的な会社にとっての良案があるというよりも、ひどく後ろ向きの「攻め」のない会社でのみ意味がありそうな話だ。

「ROE改革はどっちに転ぶ?」

ROEを上げるには手っ取り早い負債比率の引き上げもありうるが、長期的な価値創造が可能となる(実は短期主義的投機家にしてもすぐに株価が上がると期待できる)方法は、これまで不適切な還元策で非営業資産を増やし過ぎた会社については負債比率の引き上げが適切な場合に限る。そうでなく負債比率を上げることは小さければROEにインパクトはないし大きければ倒産確率を高めリスクプレミアム上昇、株価下落の恐れがある。また、コスト削減によるROE改善もノーマルな状態を想定せず、今年や来年などROEを狭い視野で問題にする時に起こりうる。

研究開発を削りROEを高めることは株主なども気づきにくいことは確かだ。これはある意味で会計不正と似ていて、社内のやる気を損ないながらコスト削減を行って、いつのまにか回復できないダメージを与える可能性がある。株主からの圧力で稼ぐ力を高めるようにと言われた経営者が誤った行動を取る恐れがあるが、現実には経営者が心配しているということだから経営行動としてそうなる例は少ないと見るべきだ。圧力をかける短期投機家がいたとしても、このようなコスト削減が知られるところとなれば株価が下落するだろうから、インサイダー取引的な違法行為にかかわる羽目になるだろう(つまり普通行われない)。

現実にも論理的にも、外部者たる株主は適切な額のR&D投資が分からないので、競合他社と比較したりはするだろうが、会社の人材や開発力への自信など内部情報が最も重要な研究開発分野で、株主や社外取締役が強い圧力をかけることは難しい。不発に終わる研究が多いこともやはりリスクに応じたリターンがある限り問題はない。そもそも企業への投資とはそのようなリスクテイクを経営者がアニマルスピリッツを発揮して行うことと同義だ。株主は社外にいて、経営の夢や希望を経営者や従業員と共有する。現実にも論理的にもそうなっている。株主から見れば、「研究開発」が悪いのではない。それが他と比べて下手であるのが悪いだけだ。その点で、他のどの主体とも変わらない。

長期雇用が重要だから内部留保が必要と言うことも何ら問題はない。退職金は費用計上して引き当てられているが、経営者のアニマルスピリッツで危機に備えてもっと必要と考えるなら、私的失業保険として信託財産に拠出すればよい(もっとも平均的な企業がそうしなければならない場合、政府管掌保険の充実が望ましいが)。日本型経営でも良い。結果が良ければ問題はない。残念ながら、長期にわたり日本の経営がもたらしたリターンが劣ってきたことが問題だ。個別企業はそのような問題意識が希薄で、赤字でなければ良いと考え、資本の希少性を忘れているにすぎない。本来、株主が世界の類似企業との比較などで与えるべきだった資本コスト比較による存在意義の議論を長らく棚上げしたことが影響している。

短期的なROEのために人件費をカットしなくてもよいし、自社株買いよりも社員への教育や労働市場の変化による報酬増が望ましい可能性はある。その判断は間違いなく経営者が行うべきだ。内部留保を預ける株主は、その成果がリスクに応じたリターンの水準であれば納得する。しかもその成果が今年や来年でなくてもよいことは明らかだ。株式はそもそも返済の必要も、利益がない時に配当する必要もないカネだからだ。日本企業の社会的使命は、雇用維持という社会政策の一環を担うことではないはずだ。日本が21世紀になっても炭鉱の雇用を守り続けていた方がよかっただろうか。希少な資源である資本や人材を成長分野に投入し付加価値を生み出し社会に還元することが社会的・歴史的使命に違いない。その時、株主の効率と成長を求める立場は、何ら矛盾を持つものではない。

ISSの石田氏がコメントするように、例えば5%という政治的な水準設定は、そもそも5%であることに意味があるのではなく、比較が問題だということを主張している。最低5%とか目標8%とかいう分かりやすさは誤解につながりやすい。だが、株主の観点から日本企業が見せてくれた結果を全般的に眺めてみれば、他の地域に比較して十分に投入資金とリスクの想定に応じたリターンを長期にわたり返さなかった(リターンすなわち配当とキャピタルゲインの源泉はノーマルなROE水準でだいたい分かる仕組みだ)。ROEを改善することは目的ではなく結果だ。手段は稼ぐ力をさらに発揮することと、東証1部の金融を除く半数以上の企業がネットキャッシュ状態にあるほどの非営業資産の蓄積を非効率と認識して適切に還元することだ。それによって必要な長期雇用や信用が揺らぐ結果、うまく経営できないとすれば株主が間違っているかもしれない。そう思う経営者は社外者である株主に説明を求められる。そうでなければ、内部留保を残して経営者にゆだねることそのものが疑いの対象となる。

「リコー近藤史朗氏インタビュー:経営者が未来を向くための指標や評価手法が必要だ」

ROEは「現在の業績を測るもの」としているため、これにとらわれてはならないという結論になっている。ROEの分母があえて資本になっているのは、配当政策と未来(成長)をつなぐ役割を与えるためだが、そのようなファイナンスの観点が考慮されていない。そもそも企業価値評価はすべて未来にしか向かない。過去の状態は参考にするが価値評価そのものに含まれない。カネを借りて自社株を買うことは、適切なケースがありうるから全否定する必要はない。そもそも米国で初のリキャップ債が発行されて自社株買いを行ったケースは、経営者が社内に緊張を与えるためという経営の手段だった。マネーゲームにするかどうかは、そもそもその意志があるかにかかっており、ROEとか自社株買いとか借金とかの手段や計算ではない。遊んでいるような人がイノベーションを起こすなどと言うことは株式市場でも十分知られている。経営者こそがそれを発見する人であることもよく理解されている。そこに持ち込む必要がある概念は比較だ。米国でプライベートエクイティと大企業の組み合わせに投資すべきか、日本の研究開発企業に投資べきかとを比較し、リスクに応じたリターンが高いほど良いという仕組みが、内部留保を経営者に預ける株主の行動となって戻ってくる。

現在と未来、内部と外部、議論と決断、仕組みと独裁、このような観点が経営の調整機能の中でうまく動くことを株主は期待し、かつ社外者として自らの判断ではそれを行うことができないことを知っている。株主は、ただ株主などの社外者が犠牲になったり価値移転されたりしていないかを気にする以外、どのような人が遊んでいるのかを含めて経営者にそのすべてを任せる。「最後は経営者が自らの勘で決める」「リスクテイクが経営者の最大の仕事であり特権でもある」というのはまったく正しい。いちいち今年のROEが下がるなどと批判する株主や投資家はめったに見かけないが、仮にいても単なる無知であって話せば分かるだろう。対話の中で今年のROE下落を嘆く投資家がいるならば、たぶん今年のROE下落に象徴される企業の収益力の悪化トレンドや資本効率への考慮不足から、今後も下落が続きそうだと嘆いているにすぎない。株主のリターンは、信じられる未来のストーリーに依存している。期待リターンは、配当、ノーマルなROE水準想定、内部留保によるオーガニックな成長想定、およびイノベーション期待から、投資家が市場価格を通じて形成する。

経営者の評価指標としてROEが単独で有効とは思えず、手島准教授のバリュードライバーの分解なども参考になる。ただしどんな指標も使い方を間違えれば意味がない。とりあえず大事なことは、株主が短期主義だ、ROEは目先の利益ベースの指標だという誤解とミスコミュニケーションを脱却することだ。何をすべきかという精神が株式投資家と企業で共有されれば、委員会設置会社等制度選択や社外取締役の定数のような形式的な議論の重要性は低下するし、ROEが良いとか悪いといった議論に意味はなくなるはずだ。ROEはどんなことを示すために有用なのかが本来重要だからだ。

 

編集部「社外取締役バブル 疑わしき統治の実効性」

「コーポレートガバナンス改革元年」

社外取締役の形式基準が2名という原則(そうでなければ説明義務)が導入され、弁護士などが企業に不祥事があった時に説明できないよりも入れておくことを勧めるような動きもあって、記事の指摘のようにまずは形が導入されている。ISS石田氏の指摘通り内部者のみで持合いなどで株主ガバナンスを弱体化させてきた結果がふるわないと認識すれば、まずは形からという主張も理解はできる。しかし、「実効性」を伴うには、形式よりも問題認識と役割の「精神」の共有が必要であり、これはいまだ「疑わしき」状態にある。つまり実効性が疑わしい理由は、何のためかを投資家が明確に述べないまま、政府や取引所が一部の投資家と形式を先に押し立てたことにある。

「1000人超のポスト増 女性弁護士に白羽の矢」

社外取締役の分かりやすい役割が多様化(ダイバーシティ)だから、女性で独立性に問題がない(はずの)弁護士が人気というのは理解できるが、まさに形式が先走りしていることも意味している。もっとも弁護士はその会社について独立でも、そもそも企業の顧問弁護士が多く、株主の立場を代弁するような発想に乏しい傾向にある。他社の経営経験者も経営者の友人ではないとしてもシンパシーが強く、社外者(内部取締役ではないという意味では顧客、従業員、取引先などを含むが、もっとも利益相反が明確なのは株主)の代弁を役割と感じているケースはほとんど目にすることはできない。

社外取締役がなぜ「社外」であり「取締役」であるのか、についての議論がまったく進んでいない。日本人は社外者というと終身雇用制度の外から来たエイリアンという感触を持つ人が多いため、(きれいに言えば)社外者とは社内の画一的な価値観を離れた個性的な発想を持ち込む人という認識をしがちだ。しかしそれは社外者ではなく社内者として経営へ取り込むべき存在だ。

社外者とはそもそも社外すなわちおおむね株主(欧州では環境問題に関わり社会になることもある)と社内取締役との利益相反について会社の大きな業務の流れをモニターし、問題ないことを確認するために存在する。経営に良い助言を与える人は社外者であってもよいが、それは社外者であることの目的ではないし、社外からの採用を増やす、コンサルタントを雇うなどでも同等となりうる。

取締役である理由は、例えば社外秘のプロジェクトなど株主との対話に不適切な問題について、議論の中で利益相反を防ぐことにある。持合い株主との取引を優先しより良い他の機会を失っていないかなどを監視することは外部者たる投資家には難しいので、社外取締役は取締役会を通じて必要な情報を獲得しモニターし意見を言う。このような意味で社外者が監査役でも必要な機能を持つことは可能だ。そもそも委員会設置会社かどうか、社外者が厳密な意味で取締役かどうかが問題ではなく、「利益相反問題は持合いなどで普遍的に存在しており非効率や稼ぐ力の邪魔にもなりうるから、そうならないように監視しそうなっていないと太鼓判を押す」役割を仕組みの中に「精神として」取り込んでしまえばいいのだ。「監査役」が日本で歴史的に(上述の意味で)機能していなかったから「取締役」にしようというのは政治的に意味はあるが本質的ではない。

社外取締役を2名にするといった箱作りは、官僚的な人々にとって安易な成果にはなるが、無駄なコストだが形式を整えておいた、というだけの企業の反応になってしまえば、結果として日本を良くするための株主ガバナンス強化からは遠ざかる。社外役員の兼任制限なども本質的な問題ではなく、そもそも何をやっているのかが問題だ。もし投資家と企業が適切に精神を共有すれば、社外取締役を採用してコンプライするのではなく、監査役制度のもとでエクスプレインすることは難しくない。

「新組織形態に続々移行」

監査等委員会設置会社は、そもそも監査役中心の既存の制度と委員会設置会社の中間体として考案された。監査役からの横滑りが批判されているというが、適法性以上に経営の妥当性を監査する役割の意識が問題になっているという。

委員会設置会社に「指名」「報酬」「監査」があるのは、それぞれが米国の企業で最大の利益相反問題の源だったからだ。非効率な会社では、社長が強い次期社長任命権によってイエスマンばかり配置して批判を封じ、エンパイアビルディングに走った。株主との利益を一致させるためとして株価リンクの報酬を野放図に作り、結局利益相反を避けるインセンティブ設計に失敗したケースが多かった。さらに、エンロン事件のような問題が続き、経営の妥当性評価が社外者にも求められた。社外取締役中心の委員会が、大きく3種類の問題を明示的に認識して監視するような制度が有力となった。

監査役であれ監査等委員会であれ、そもそも何が問題でどう解決するかが明確であれば役に立つ。例えば、日本で株主と内部者の間でもっとも頻度の高い問題は、持合い相手との不適切な(利益機会を逸する)取引だろう。持合い相手から高くで買い取り安くで売る不適切な取引は、長期的関係重視や事業提携を隠れ蓑に起こってしまう可能性がある。持合いであれ経済活動における財産権の自由を会社が主張することを適切とすれば、「持合いで株主共同の利益が損なわれていない」ことを確認するための委員会を社外者中心に作ればよい。社長の次期社長選択権が前職者の決めたことを覆せないことで株主共同の利益が害されるという日本独自の問題がある場合、会長・相談役監視委員会を作ってもよい。委員会会社は監査役会社よりフレキシビリティがありそうだが、このようなことを監査役会社でやれないわけではない。監査役会社が保守性の象徴になっているが、委員会設置会社になったからといって社外者も社内者も何がそもそもの目的だったか分からない「形だけ導入」が多い現状で、稼ぐ力の強化にも効率改善にもつながるはずはない。

組織形態とガバナンスの優等・劣等とは本質的に関連がない。新しい形態を取り入れるときには何か事情があるだろうから、良い知らせであるのかもしれない。だが、現状においては、委員会設置会社になってたくさんの有名経営者が出入りして意見が交錯して収集がつかないとか、どうやったら社外からの有名人に企業価値を増やさせることができるのか、といったくそまじめにしてばかばかしい議論が多い。本来ウィンウィンの関係にある株主と経営者には小さいがしばしば利益相反が起こりうる。それをいくつか問題として前置きし、そこに社外者を取締役としての責任を負いつつコンフィデンシャリティを守る立場として迎え、委員会などの強い権限を持つ仕組みを通じてモニターする。このような精神が根付くとすれば、日本は良い方向に変わるだろう。いまのところその兆しは見えてきたとは言いにくい。

 

JT副社長新貝康司氏インタビュー:四半期決算廃止、ストックオプション規制

新貝氏の経験では、投資家が業界下位企業にも上位と同等の株主還元を求めるなどしたことが、投資不況を呼び込んだとの認識となったようだ。90年代の米国は、M&Aの興隆、財務戦略への注目、ファンド資本主義的な動きの活発化などが起こっており、確かにそのような問題があったかもしれない。当時の日本の投資家はザ・セイホに象徴される「物言わぬがディーリング的な」投資家だった。利益環境の意味で懐が深かったかもしれないが、長期の人材育成などについては単に興味がなかったと見ておくべきだろう。低成長、グローバル化、海外投資家の存在感の増大(銀行等の株式保有の制限と減少)などが、経営者から見れば金融資本主義とショートターミズムの拡大に見える可能性はある。

しかし、海外投資家(ひとくくりにするのは適切ではないが年金資金等について)は長期保有するかどうかは別として長期的視野から企業価値を評価し投資先を決める。株式会社制度の本質は長期的だし、米国では経営者市場主義への行き過ぎに対してJensenなど著名なファイナンス学者が批判し続けて株主の立場を復活させた歴史がある。また、事業再生型M&AはJTの海外企業買収では前向きだが、日本ではしばしば「救済合併」という株主共同の利益の破壊的なケースが多かった。M&Aは、要するに価格付けが適切であればよい。またTCIのJTへの要求は過大だったとの印象だったが、当時のJTの還元が適切だったかというとそういう印象でもない。過去に還元が不足していれば、新しい株主が多くを要求することになり過去と現在の株主間の結果不公平が起こるのだが、これは過去の株主が適切に要求していなかったことに起因する。常に適切との企業と株式投資家の合意があれば、ある時期に過大に見える要求がでてくることはないはずだ。

四半期決算が短期主義を助長する傾向は米国では見られており、運用業界の一部も反省しているようだ。しかし問題は開示頻度にあるのではなく(短いほど調整しやすくなるという因果はあるが)、本質的には、予想とその達成圧力にあった。米国のみならず世界的に株式市場は前もっての予想形成とファクトの開示との間にサプライズに起因するリターンが生じる。長期的に見れば重要ではないが、一部のファンドマネージャーのパフォーマンス評価に影響するため、ファンドマネージャーが経営者などに一時的な経費削減などを要求し、株価で評価される報酬制度を持つ(この意味で利益相反がない)経営者が同調した。報酬制度によるインセンティブ付が重要な役割を果たしたことに留意しておきたい。

日本では、四半期決算が情報頻度を高めて情報の非対称性を低下させ市場の効率性を高めたと評価できる面がある上、そもそもアナリストが四半期予想を出すケースがそれほど多くなく(これは増えているので要注意)、さらに経営者の報酬制度が短期主義を助長するケースがほとんどない(マザーズなどで増えているので要注意)と認識している。つまり、四半期決算が文字通り1年より短期であるということが問題なのではなく、株主や経営者のインセンティブ付け、市場の反応などの複合汚染となっていることを知っておく必要がある。その上で四半期決算を直接批判するよりも、「四半期決算の予想」と達成について市場参加者も会社も重要視しないように、投資家や経営者のインセンティブ設計が重要だ。

ストックオプションはこの問題に明らかに関わっており、米国での短期主義に関係するし、日本でもマザーズ市場などで人気を得ている。米国でも単純なストックオプションによる報酬は減る方向で、同業他社比較でのパフォーマンス計測や株価ではなく利益に連動するような設計などが提案されている。日本の大企業ではあまり問題になっていない(インセンティブが株価に連動していない)が、現在小規模の会社が大きく成長すれば、マクロ的な問題になる可能性がある。一般に日本企業の経営者の報酬が企業の利益・効率・成長などにリンクを強めることが望ましいが、単純な仕組みでは問題が解決しないことは米国などから学んでよい。

ROEへの注目について「短期的にROEを上げようとする経営は、企業だけでなく社会にも悪影響を及ぼす」ことは間違いなく賛成できる。適切に経営されている企業が自社株買いで負債比率を上げ、事業投資を押さえて費用を減らし、従業員の待遇を悪化するなどは、短期的にROEを計算上上昇させるが、その中身が明確になったとたん、株主の不利益となり株価も下がる。ただし、現在の日本では、自社株買いで不要に積み上がった非営業資産を株主に還元する、業界秩序を維持するために救済合併を通じて投資を増やす、従業員数を維持するために儲からない事業を継続、結果として終身雇用維持のために大量の異動を行い地域社会を壊すなどの悪い例も見出すことができる。社長の在任期間中に面倒を起こしたくないという経営の短期主義が、日本企業の稼ぐ力と体力を損なってきたという認識から、アクティビズムの局地的増配要求が企業価値を上げるために正しいとせざるを得ない場合もあった。株式投資家のコミュニケーションがあまりに一律であったせいでこのようなステレオタイプ(なんでもかんでも自社株買い、費用削減、従業員削減)で株主を認識させた可能性はあるが、真実は中庸にあるし会社によって異なるにすぎない。

日本のデフレの原因がROE至上主義にあるとの一部の主張がここで取り上げられているが、大企業についてROEの誤解があってもそれを取り入れた経営にかじを切ったケースをほとんどみかけないという意味で、デフレの原因に上げる必要はない。デフレ期間中に企業が現金蓄積を進めたことは日銀の資金循環で確認できる。これは株主ガバナンスが適切に機能していないことで起こったと考えるべきであって、因果は逆と見るべきだ。

JTが拡大再生産を行おうとすることに問題はなく、仮に株主や潜在株主が反対するとすれば、経営者が間違っていないのであればコミュニケーションの不足だ。経営ビジョンを語ることとはつまり非財務情報が重要になることであり、この意味で正しい。

内部留保をため込むことについて、認識が違うということが論点として重要だ。日本企業のROEの低下は手本がなくなったからだというが、手本のない欧米のROEは下がらなかった。しかも日本のROEの低下は内部留保のためこみ(レバレッジ低下)が主因ではなく、マージンの他地域以上の低下が原因だ。日本に短期志向が必要ではないことに賛成だが、規模と安定から効率と成長にかじを切る論理が必要だ。これを「株主圧力」と表現してもよいが、それはすなわち短期主義だと切って捨てると間違いだ。短期主義はイノベーションに悪いが、株主共同の利益はイノベーションの味方だ。企業評価は定義として長期的だからだ。

米国とのベンチャーへの資金フローの違いは確かにあり、業界内の個社比較ではこのロジックでの反論はありうるが、マクロ経済の比較で日本だけがROEが長期持続的に低いことを説明できない。株式という資金調達方法(内部留保も調達である)が世界中で機能しており、日本だけがリターンを不十分にしていることに気づかないことは、日本と他の主要地域との格差を拡大する要因となってしまう。

最後に、コンプライアンスの観点から米国流のガバナンスが求められているという質問者の認識は間違っている。そもそも攻撃的なリーガルストラテジー(つまり法に違反しない限りなんでもやる発想)から、法の趣旨を理解してより適切になろうとするコンプライアンスに変わっているということが、米国流と言うのであればそうかもしれない。しかしこれは株主ガバナンスとも日本での課題である稼ぐ力とも資本効率とも直接関係ない。内部統制としては、コンプライアンス精神と一罰百戒のみならず内部告発制度も加えていいかもしれない。

株主ガバナンスが日本で求められる理由は、規模と安定を望む経営を変えるインセンティブを持つ経済主体は株主しかいないことに発している。欧米の真似をするのは興味深い制度がすでにあるからであって、狙いは異なる。経済の様々な問題のうちのいくつかの根源的な問題への解決は、株主ガバナンス強化で手にする可能性があることを、経営者も株式投資家も認識を共有できるとよい。

(3) 2016年3月14日

ペンネーム:QP