投函者(三井千絵)
1.フェアディスクロージャー・ルールをめぐる状況
昨年の11月から今年4月まで開催されていた金融審議会ディスクロージャー・ワーキンググループでは、その報告書上でフェアディスクロージャー・ルール(FDR)の導入について継続検討することが記載された。これは、海外の投資家から一部メディアで決算発表の前に記事が流れることに対するクレームがあり、同ワーキンググループで取り上げられ、FDRの導入の必要性が議論されたことによる。しかし一部の委員から「FDRが導入されると、(開示に余力がない)小さい企業などでは、逆に対話が行いにくくなる」という指摘が繰り返し行われ、最終報告書では継続検討となった。
スチュワードシップ・コードが導入されてから、議決権行使や対話に関する新たな負担は、運用会社各社ともなんらかの形で高まっている。特に時価総額が上位700 より小さいと一般にセルサイドアナリストがつかず、企業側が対話に慣れていなかったり、開示や説明が少ない等によって、運用会社側の調査や分析の負担が大きくなる。そのような中、FDRの議論は将来の金融審に持ち越されたわけだが、その後日本証券業協会(日証協)から「アナリストの業績取材・情報提供についてのガイドライン」が公表された。このガイドラインは、企業が開示していないことについて、アナリストが取材で「聞かない」、「伝達しない」ことを求めるものであり、むしろこのルールが対話の非活性化につながるのではないかという懸念もある。
2.フェアディスクロージャー・ルールに関連する3つの論点
“FDRは企業と投資家の対話の妨げになる”のかどうか、これまでの議論は次の3点が要因となり、やや混乱しているとみることができる。
①EU/英国型と米国型の2つのFDR
「フェアディスクロージャー・ルール」という特定のルールはなく、米国では”Regulation Fair disclosure”、英国では”The Disclosure and Transparency Rules”(DTR)と呼ばれるルールがその代表だが、それぞれの国でこれらのルールの成り立ちや目的が異なっている。そのため、どちらをベースに検討をするかによって対話への影響や論点は異なる可能性がある。
米国のルールは、企業が一部のセルサイドにだけ話をするといった当時の状況に反対するバイサイドからの支持を受けて導入されたもので、企業に対しては選択的開示を規制する目的が強い。また、「投資判断に影響のある情報」が対象となり、その範囲は広く、何を話したら開示が必要か煩雑だと感じると、金融審で一部の委員が指摘するように投資家と対話を委縮させることもあるのかもしれないこれに対しEU/英国では、EUダイレクティブの下、その対象を「プライスセンシティブな情報(株価に影響を与える情報)※」としている。EU/英国の投資家に対話と開示の問題を問うと必ず「プライスセンシティブ」な情報を避けてエンゲージメントを行っている、といった答えがかえってくる。
② 日証協のガイドラインに対する誤解
日証協のガイドラインがパブリックコメントで公表された際、IR関係者などから「これでアナリストが未開示の情報を聞くことがなくなるのであれば、これ以上(企業が対話に委縮する可能性のある)FDRの導入の議論は必要ない」といった意見が聞かれた。しかし、このガイドラインでは企業によるメディアに対するリークは防げない。また、セルサイドアナリストに対して未開示の情報を聞くこと/伝達することについて細かいルールを示しているので、企業が開示を十分に行わなければ、バイサイドにとっても、セルサイド経由の情報収集が非活発化する可能性もある。従って「このガイドラインが先に出てしまったので、FDRの議論を早く進めないとバイサイドと企業の対話も非活発になる」という逆の見方も出ている。
このガイドラインは、関係者が難しいと感じている点がある。それは規制対象としている情報の範囲である。
ガイドラインでは、情報を「重要事実」、「法人関係情報」、「重要情報」とそれ以外に分類し、分類ごとにその取扱いを決めているが、特に「法人関係情報」「重要情報」の範囲は一般的に解りにくい。未決定/未確定の状態であるため、「開示すればよい」ということではない事項もあるだろう。実際の運用は容易ではなさそうである。
③ フェアディスクロージャー・ルールの影響を受ける「対話」の範囲
金融審で委員が指摘していた「FDRによって難しくなる対話」とはどのような対話なのかを今後明確にする必要がある。それが不明なため「機関投資家と企業の対話はFDRにより阻害される」という不安を与えていると考えられる。
対話を(A)直近の決算に関する足元業績に関するものと、(B)中長期の事業に関するもの、そして(C)ガバナンス系の対話と大きく3つにわけ、これらに対し日証協のガイドライン、そしてFDRがどのように影響をあたえるか考察してみたい。
まず日証協のガイドラインから各対話への影響だが、(A)については開示前の決算に関する数字を聞くことだけでなく、決算発表後に開示されていない詳細を聞くことについても細かく規制されている。例えば昨今の決算短信簡素化の流れで企業が決算の詳細を開示していない場合に、アナリストが数字について深掘りしたいと考えても、必要な数値が未開示であれば、アナリスト側も対話がしづらく、企業が「開示していないことは話さなくて良い」と認識することも考えられる。
(B)については、一般に中長期の事業に関することであっても、直近期との連続性との線引きが難しく、これも企業に「開示していないことは話さなくて良い」とだけ認識される恐れがある。そして(C)については一般的に未確定、未決定の事案が多くなり、企業と機関投資家の間の対話が消極的になる可能性がある
しかし一方で、もしFDR、しかも英国/EU型のFDRが同時に導入されていればこれらの影響が“中和”される可能性がある。まずいずれのタイプのFDRでも、企業に対し開示の強化を求めるならば、(A)や(B)については、アナリストから質問がでるようなことは開示すべきという姿勢を企業に求めることになるし、(C)や一部の(B)については、対話の可否を当該情報の株価への予想される影響で判別するほうが、対象範囲も狭くなり、比較的運用しやすいと思われる。
3.運用会社の声
このFDRについて、運用会社はどのように考えているのか10社ほどにヒアリングを行った。①まずはFDRをどう考えるか、②現在も企業との対話でなんらかの負担を抱えていないか、③FDRの議論や日証協ガイドラインなど一連の動きで既に企業の行動に影響が出ていないか、などについて質問した。
以下、得られた意見について簡単に紹介したい。
・ヒアリングを行ったほぼ全員がFDR導入にポジティブであった。パッシブ系の運用者からは「公平に開示してほしいため賛成」という声もあった。
・現在企業に未公表事実を話されるリスクを感じているか、という問いには、アクティブ系運用者はたいてい企業の意図的、または意図がない未開示事項の発言によって当該銘柄の取引を実際に止めたり、あるいは止めざるを得なくなるリスクを感じていた。特に余り大きくない企業については、運用会社側で企業側の不慣れを考慮する特別な対応が必要であったり、正しくない情報を意図的に話されたりするリスクを指摘する声も聞かれた。
・FDRによって対話がしづらくなることが予想されるか、それを既に感じているか、という問いには、何人かの回答者から、企業がFDRやガイドラインなど一連の動きを対話しない言い訳にする可能性の指摘があった(実際に、ある回答者は米国拠点でFDRを理由に対話しないという企業に遭遇した)。ただし、現時点ではまだ、実際の企業の態度に変化を感じた回答者はいなかった。
まとめると、アクティブ系運用者が事業・業績について対話を行う場合は、すでに未公開情報リークのリスクや、コンプラ部門との頻繁なやりとりなどの負担を抱えている。また、既に当該情報が開示されている、あるいは直近業績への関わりがないなど対話で言及可能な情報なのか否かは、結局は企業側しかわからないことが多く、企業側の自覚が必須と考え、FDRに賛成する傾向があった。
またパッシブ系、ガバナンスに関する対話、エンゲージメントの場合は、株主総会の議案作成時から対話をする場合、未決定なため開示されない情報を用いた対話は避けられない。これらを対話で用いることができるような制度設計を望む意見があった。
4.今後に向けて
英国、EUの投資家や英国レギュレーターにもFDRと対話についてヒアリングを行った。
・EUダイレクティブによりEU/英国の投資家は一律に「プライス・センシティブな情報は受け取らない」という表現を用いた。
・対話の最初に「我々はプライスセンシティブな情報は受け取りません」と宣言し、それでも企業側がうっかり、或いは意図的に話してしまうこともありトレードを止めることはEU/英国でもあるそうだが、特に相手に対応する余力やIRスキルが不足しがちな中小型銘柄の場合は、コレクティブエンゲージメント等が主流であることも、対話を行いやすくしているようだ。またアクティブとパッシブの担当部署間にウォールを設けているところもあり、その場合、パッシブであれば会話の自由度はかなり高いという投資家もいる。株主総会に向けたガバナンス系エンゲージメントについては(EU/英国では)パッシブ運用ではが主流になり、そのため何でも議論できるという認識をもった投資家もいた。
・また何がプライスセンシティブか、という区分はある意味”原則主義”のようなもので、何が含まれるか含まれないかについてのグッドプラクティスが必要だ。英国FRCは「対話とフェアディクロージャーの関係は難しい。マーケットプラクティスを積み上げるしかない」という。
スチュワードシップ・コードを導入した日本では、英国やEUのやり方を調べ日本に根付かせていくしかないと言える。そのためには日本でも何が株価に影響する情報かという議論を投資家と企業、関係者で積み上げていく必要がある。更に日本では、同じ金融審のディスクロージャー・ワーキンググループでは、たまたま決算短信の簡素化も提言している。これはよく考えると一連の議論の中でもっとも問題を大きくしている。簡素化により発表されなかった数字は、企業の財務情報をより深く知ろうと思っても、対話の中で聞けなくなるためだ。そこに日証協のガイドライン等が出てきた今、状況は待ったなしとも言える。そのためにも一日も早くFDRの導入の議論が行われるべきではないだろうか。
※プライス・センシティブな情報:DTR(MAR)でどういった情報が株価を変動させる可能性があるかについて記載されている。しかし本文中でもいくつか引用したようにUKの関係者によると重要なのは、投資家・企業の間で「どういった情報が(プライスセンシティブではなく)エンゲージメントで議論することが可能か」といったコンセンサスをマーケットプラクティスで構築し続けていることにある、という。
投資判断に影響のある情報となると全ての情報が入ってしまいがちだが、たとえ一部の投資家が投資判断に用いるかもしれない情報であっても、直近の株価に影響を与えるものでなければ議論することは妨げられないと解釈されている。