投函者(三井千絵)
7月に入り、IFRSサステナビリティ開示基準の初めてのエクスポージャードラフトに対するパブコメ締め切りまで残り一か月となった。ISSBはこれまで民間の開示基準として活動してきたSASBやCDSB、IIRCと合併し、非財務開示をグローバルに統合しようと精力的に各国で説明を行っている。しかし気候変動問題への対応は、各国で規制当局が大きく関わる部分だ。欧州で企業開示を管轄する組織EFRAGは、EU版サステナビリティ開示基準(ESRS)の検討を行ってきたが、現在基準案を公表し8月8日までパブコメ中だ。また米国ではSECが直接開示のレギュレーションを改訂、気候変動関連の開示要件の追加する案を発表し、3月21日から6月17日まで意見募集を行っていた。これらの状況について少し紹介したい。
欧州の動き –投資商品の開示との関係性–
6月13日、パリで開催されたあるカンファレンスで、パブコメ中のESRSについて講演が行われた。登壇者は、ESRS策定のために設置されたプロジェクトタスクフォースのチェアを務めるパトリック・デ・カンブール氏だ。カンブール氏はフランス会計基準設定機関(ANC)の代表でもある。
EUでは2018年に始まったサステナブルファイナンスのアクションプランの一つで、企業開示の見直しにも取り組んだ。EFRAGは2020年9月に最初のタスクフォースを設置し検討を開始したが、2021年4月に、欧州委員会からCorporate Sustainability Reporting Directive (CSRD)の提言が行われると、ESRSを策定するべく、人数を増やして第2次タスクフォースを結成した。その頃にはIFRS財団でもSASBらとIFRSサステナビリティ開示基準を作る動きが始まっていたため、EFRAGはGRIやShift, WICIなどと議論を重ね、そしてIFRS財団、また米国のSECとも話し合いを行い、4月29日にエキスポージャードラフトを発表した。ESRSは13の基準から構成され、うちわけは全体について記載された基準が2つ、環境関連が5つ、社会関連が4つ、ガバナンス関連が2つとなっている。そして開示コンテンツはセクターに関わらず横断的な情報、セクターごとの情報、企業特有の情報という3つのレイヤーに分類される。カンブール氏は、基準ごとの開示要件を一覧表に示した。例えば環境関連の5つの基準には、合計51個の開示要件がある。社会関連の4つの基準には合計44個、ガバナンスで20個、全体について記述している2つの基準に22個と全部で137個あり、その40%はナラティブな開示要件だ。定量的な開示要件は20%で、残る40%は半定量的な項目となっている、と説明した。
そして表にはもう一列記載されており、これらの開示要件それぞれが、EUで別途施行される金融機関、運用商品等の開示基準であるRegulation on sustainability-related disclosure (SFDR)の開示要件とどのように対応しているかが示されていた。例えばESRS E1という環境に関する5つの基準のうちの一番目には17個の開示要件が含まれるがそのうち8つが運用商品の開示で投資家が必要とする項目である・・ということがわかるようになっている。この説明は投資家に”安心感”をもたらすだろう。自らの投資商品について開示を行うとき、投資先の企業から集めなければならない情報が、企業開示基準の中で明確に求められているとわかるからだ。今は企業が作成している様々な開示のあちこちをみて、少しづつ違った定義で記載されていたりする情報を、判断をしながら集めて用いる必要があり、そのような苦労から少し解放されると期待できる。
EFRAGは8月8日までに集まった意見を受け11月までにESRSを最終化し、欧州委員会に届ける予定だ。欧州委員会では来年の前半までに適用にこぎつけようとしている。
米国の動き –財務諸表との関係性–
米国は、3月21日、“投資家の為の気候関連開示の強化と標準化”に向けた提案を行い5月20日まで(その後締め切りを6月17日までに延長)意見募集を行った。GHG排出量や気候変動リスク、ガバナンス体制といった開示項目を規則に追加する提案だが、米国市場で上場するなど、SECに報告義務がある企業が従う開示規則Regulation S-K(非財務情報)だけでなく、Regulation S-X(財務情報)にも改定案が挙げられている。
財務情報については、例えば気候変動に対処することで必要な支出や、気候変動から財務諸表上受けることが想定される影響についての見積もりの開示などが求められている。これまでTCFD開示でも財務諸表へのインパクトの開示が求められてきたが、実際財務諸表内にそれを明記する企業は少なかった。英国に拠点がある非営利シンクタンクであるカーボン・トラッカーなど複数の投資家団体が昨年から取り組む「クライメート・アカウンティング・アナリシス」という活動では、非財務開示で気候変動リスクとその為の対処を述べながら、そのために受ける具体的な影響について整合性のとれた情報が財務諸表に見られるかどうかの分析を行ってきた。非財務の開示ではどのように語っていても、実際に企業がアクションを起こしていれば、それには費用が掛かっているし、その対処が妥当であるかどうかを判断するには、財務的な影響がどれくらいあると見積もっているか、という情報も必要だろう。しかし彼らの分析結果をみると、このような財務と非財務で一貫性のある開示はなかなか行われていないようだ。従ってこのSECの財務開示に対しても直接改定を提案したことは強力だ。これについて米国財務会計基準審議会(FASB)を通さず提案したことについては、投資家団体等から財務諸表の解釈で問題がおきないかなど懸念の声もあがっている。また改定案は大企業等にスコープ3の開示も求めているが、スコープ3の情報収集の難しさについても未知の世界だ。この提案について、グローバルに17万人の会員を抱えるCFA協会では、100頁を超える意見書を作成している。当初2か月だった意見募集期間は、投資家団体などの熱心な要望などにより6月17日まで延長された。
IOSCOのレコメンデーション –市場全体の問題解決には?–
昨年の6月から11月にかけて、証券監督者国際機構(ISOCO)では市場全体のサステナビリティ/気候変動リスクの開示の問題を3冊のレポートに分けて報告した。ひとつは企業開示、もうひとつは運用会社の開示、そして少し遅れて11月に発表したのはESGレーティング/スコアリングの問題だ。今ESG、気候変動リスクの考慮はファンドや運用の開示でも求められている。ESGに関することに投資をしているといっても、実際に何を考慮しているのか、どういう根拠で銘柄選定しているのか不明なケースが見られるようになり、各国当局も監視の力を強めた。IOSCOのレポートでも、投資商品の開示の透明性や質的向上強化などが求められたが、またパッシブ運用を中心に多くの“ESG投資”が、レーティングやスコアリングに頼っており、またそれらをもとに構成されたESG指数を用いていることも多い。ところが同一企業に対しベンダーによって別々のレーティング/スコアリングがついていたりして、これらの透明性も求めらる。IOSCOのレポートは運用商品の開示やレーティング/スコアリングでもより良い企業開示が必要であると指摘している。つまりEUのように、企業開について説明するとき、あわせて投資商品や金融機関に求める開示との関係を明確にすることは非常に意味がある。
一方企業の気候変動による財務的なインパクトの開示は、TCFDでも求められていたが前述のようにあまりうまく開示されてこなかった。これまでISSBはIFRS財団の下でIASBの姉妹組織として成り立ち、IFRSとの一貫性を高められる、とその強みを述べてきた。しかし今公開されているエクスポージャードラフトでは、財務諸表との強力なリンクについての記載はあまり見られない。連結財務諸表とその範囲を同じくすることが提言されているが、当然かもしれないが、ISSBの基準のほうから財務諸表に何を開示しろという表現はみられない。それに対しSECは非財務と財務の両方に同時に改訂の提案を行い、開示の一貫性を明確にしようとしているわけだ。
いずれもISSBでは取り組めない内容だ。ところで日本は現在、財務会計基準機構(FASF)の下に、企業会計基準委員会(ASBJ)の姉妹ボードとしてSSBJを立ち上げたところだ。また金融庁では気候変動関連の開示を追加すべく、有価証券報告書の改訂に向けて準備中だ。日本は今後どのような対応を行っていくのだろう。2022年7月現在では、EUのような投資商品の開示基準もなく、また有価証券報告書改訂の方向とはいえ、SECのような詳細な改定案が完成しているわけではない。
日本はISSBの基準をそのまま適用するのだろうか。
欧州委員会や米国SECがすぐれた改定案を作ったとしても、企業の事業活動はグローバルに行われ、また投資家もグローバルに企業に投資しているため、互いの異なる地域の開示要件も無視できない。日本企業は欧州の開示基準にも米国の開示基準にもなんらかの影響をうける。従って複数の地域で複数の開示基準ができれば企業の負担も、またその投資先の情報をもとに自らの投資の内容を開示する投資家の負担も重くなる。これがグローバルに統一された開示基準が求められた背景だ。日本が今後第3の開示基準を策定するのか、ISSBの開示基準を支える一翼(主翼)になるのか、その判断も遅かれ早かれグローバルに影響を与えると言えるだろう。市場関係者の前向きで、積極的な議論が望まれるところだろう。