投函者(三井千絵)
金融庁は11月29日、有価証券報告書の「開示の好事例集」を更新した。
これは2019年3月末から適用された開示府令の改正(一部は今年は早期適用)にあわせ、金融庁が取り組んできたもので、今年の3月の初版から数回目の更新になる。中身は、実際に開示が行われた各社の事例で、それぞれに数行だけ、どこが良かったかのコメントが記載されている。
統合レポート等任意開示書類については、各種団体のアワードや経済産業省のガイダンスなど様々な資料が出ているなかで、有価証券報告書について“良い記載”を取り上げたものはあまりみない。さらに“好事例”といったものが金融庁から発行されるのは画期的だ。
12月上旬、ある上場企業の開示担当は、最近役員、とくに社外役員から次の有価証券報告書の作成について質問を受けたり、しっかり取り組むように、と言われるようになった、という話をしてくれた。それどころか、今年はいいものをつくって業界で一番になりたい・・・とまで言い出したのだそうだ。
多くの企業において、有価証券報告書作成はあまり“楽しい”作業とはいえない。法令に基づき、表現に気を配りながら苦労して作成しても、話題になるのは統合報告書や、サステナビリティレポートだったりする。役員も自分の顔写真やらコメントが入る任意開示書類に、より意識が傾くかもしれない。それに比べ有価証券報告書は、虚偽記載があれば逮捕される可能性まである重要な書類で、責任ばかり重い。それなのに、株主総会の後に発行されるためどうやら決算短信より見られていなそうだ・・・、そんな思いもあるかもしれない。
「どうして突然、有価証券報告書に力をいれたいと思われたんでしょうか?」と聞くと「金融庁の事例集の影響もあるようです。この前、役員報酬のところが更新されたでしょう。そうしたら“うちの開示とあまり変わらないじゃないか”、“どうしてうちが選ばれないんだ?”と言われまして・・・」と苦笑い。
やはり重要なのは“評価される”ことだったのか、と改めて思う。有価証券報告書の作成を担当されている方とお話しする機会があると、以前はよくこんな声を聞いた。「本当に誰か読んでいるんでしょうか・・・」開示府令が細かく定めない非財務情報の部分は、財務会計基準機構(FASF)の事例集に沿って作成される場合が多い。法律の解釈に自信が持てず、それと違うことを書いて何か問題にならないか不安だから、と答える企業が少なくない。書きづらいことも書かなければならないのに、法に準拠しなければならない、そんな苦労を背負う担当者に対する評価は、これまた多くの会社で問題があった時の減点式評価になりがちで、訂正有価証券報告書を出すなんてことは大変な失敗だった時代もあったそうだ。
金融庁の好事例集はアワードではないが、これが発行されるだけでも有価証券報告書を作っている側からすれば大きな衝撃だろう。良いものを作成すれば、評価される可能性が出るだけではなく、しかもそれが金融庁であれば「法令に基づき真摯な開示をしたと認めてもらえた・・・と感じることができる」のだそうだ。。
金融庁の事例集公表ページをみると、「なお、政策保有株式の開示については、投資家が好開示と考える開示と現状の開示の乖離が大きいとの意見が聞かれたため・・・」というくだりがあり笑ってしまった。有価証券報告書は5000社以上が作成しており乖離があってもおかしくない。事例集は実際の企業名も入っている。しかし確かに今後、「なぜこれが好事例で、なぜうちが好事例じゃないんだ!」「金融庁がやるんだから公平にやってくれないと困る!!」といったクレームをする企業も出てくるかもしれない・・・。
しかしもしそうなれば、それは“良い反応”だといえるだろう。前述の会社ではリスクの開示については専門の対策委員会を立ち上げる検討がはじまったようだ。
以前、開示に積極的で今回事例集にも載っているある会社の担当者「有報に連結の社員数、非正規の社員数を書く欄があるでしょう。あれ大変なんですよ」と言うのを聞いて驚いたことがある。「え?!お給料払っているんだから何人いたかはわかるでしょう?」というと「だってうち何社連結してると思うんですか。海外では国によってそういう数字を把握するのが大変なんです」
このエピソードは、重要な課題を示唆している。有報が開示を求める非財務の数字はそれほど多くなく、企業分析に重要な数字だ。それなのに開示が求められるまで社内で把握していず、有報の担当者が数えているのだ。これらは経営にも必要な数字ではないのだろうか。
次は事例集に選ばれたい!ということを夢見て、各社が有報を良くしようと考えるとしたらそれは素晴らしい。有価証券報告書は対象が全社で、絶対に出さなければならないからだ。そして有報には厳しい開示要件もあるので、それを本当に良くしようと役員が考えれば、それを書くために、社内の実際の取り組みや、情報の整備にも取り組まざるをえないことになり、それらの努力が結果経営の質的に向上に貢献するかもしれない。
金融庁には、非上場企業も含めて約5000社という有報作成会社がやる気を維持できるよう、ぜひこの取りくみを継続してもらいたい。それが大変になったら、良い事例の一般公募もしてみてもいいかもしれない。一般にあまり大手企業のアナリストがカバーしないような中小型企業は、任意開示書類もない。そういった企業をよくみている投資家から、意外な良い記載がハイライトされ、日本市場の活性化にも結びつくかもしれない。