投函者(三井千絵)
最近国内外で人的資本が注目されている。国内ではCGコードで取り上げられたこともあるし、省庁による研究会活動も行われている。人的資本は古くは無形資産のひとつとして議論されていた。企業の将来価値を生む、財務諸表に表されていない要因の一つとして、知財などと一緒に議論されていた。中にはもっと踏み込んで「人件費は費用ではない。資産として計上されるべきだ」という意見もある。しかしその言葉が実際カバーする範囲は広く、より生産性の高い従業員の育成なのか、インセンティブ付けが行われる報酬体系なのか、ダイバーシティなのか、様々な模索が始まっている。
背景の一つとして、コロナ・パンデミック以降どのような業種でも、人という資源を管理していくことは事業の存続上重要なポイントになってきた、ということのようだ。とはいえ、未だ新しいこの人的資本を投資家はどのように投資判断に組み込みのか、そのためにどういう情報を企業に開示して欲しいのか、ということについては議論が始まったばかりだ。
投資家の取り組み
ステート・ストリート・グローバル・アドバイザーズの、ベンジャミン・コルトン氏は、最近ハーバードロースクルフォーラムに自らの取り組みを寄稿した。分かりやすい説明だったのでご本人の承諾を得、紹介したい。コルトン氏は昨年、人的資本のトピックについて185を超える投資先企業とエンゲージメントを行い、また Human Capital Management Coalition(後述)に参加したそうだ。そして今、次の5つの点について注目していると言う。
- 取締役会の監督機能 取締役会が人的資本のリスクと機会を監督できているかどうか
- 戦略 人的資本マネジメントに対するアプローチが、長期の事業戦略をどのように進めるか
- 報酬 従業員を惹きつけ、貢献を奨励するために報酬の戦略は役立っているか
- ボイス 従業員のアイディアや懸念を聞き、それらに適切に行動するなど、従業員を組織に関与させているか
- 多様性, 公平性, インクルージョン 多様性や公平性、インクルージョンをどのように推進するか
記事中ではそれぞれについて事例もあげている。例えば取締役の監督機能については、取締役が様々な従業員と直接対話し、それらの議論の内容と結果を取り入れている事例。戦略については、長期的な事業戦略を推進するような人的資本管理戦略を策定して欲しい、パンデミック、労働市場の逼迫といった中でどうやって質の高い人材を引き付けて維持することができているかを説明して欲しい述べ、事例として今後デジタル化に向けて人材の採用や育成する方法を示した企業をあげた。ほかにも労働力構成についても透明性を求め、労働力の構成と規模、フルタイム、パートタイム、派遣労働者を更に年齢、専門家性ごとに分類した開示事例を示している。この事例では請負業者の数も開示していたそうだ。
報酬については昇給プランとインセンティブ付けについて、またボイスについては、従業員とエンゲージメントを行い、アイデアやフィードバックを得たら、適切な場合は提案に基づいて行動することの重要性を挙げた。後者の事例として、CEOが施設を訪問したり、あるデリバリの企業では午前2時にトラックの運転手と一緒に乗車し、荷降ろしや駐車スペースを見つけることの課題などを直接理解したことを開示した企業を紹介した。一方で従業員がCEOに電子メールを送信できるということを述べている企業については、本当に従業員が本音をCEOにメールできるのか、この方式の実効性についても意識したことに触れた。
Human Capital Management Coalition(HCMC)とは
コルトン氏が参画したと述べたHCMCは、人的資本の改善は長期の株主価値を生み守ることに貢献する、ということについて投資家や企業に理解を求めるアセットオーナーの集まりだ。2021年1月現在で35ファンド、メンバーの資産総額は6.6 Trillion USDとなるという。この会では、人的資本を「企業の全労働力によるナレッジ、モチベーション、スキル、経験」と定義する。人的資本のマネジメントには、採用と勤続、従業員へのエンゲージメント、トレーニングと報酬、公正な労働慣行、健康と安全、責任ある契約、倫理、望ましい企業文化、ダイバーシティなどが含まれるとしている。そしてこの会ではより良い人的資本の開示を求めている。
HCMCのレポートでは、4つの基本的な指標と原則に基づくメトリクスを提唱している。基本的な指標では、・従業員数、・総労働力コスト、・売上高、・労働力の多様性、をあげている。売上高が入っているのは、これがなければ労働者を引き付けることも維持することもできないからだ。この一つ一つに細かい内容が示されている。たとえば従業員数では、フルタイムとパートタイムについて、総労働力コストではインセンティブ報酬体系や、その他の福利厚生などをあげている。また原則に基づくメトリクスでは、安全や衛星、スキルと能力、文化、エンゲージメント、人権、労働者の権利、賃金、インセンティブなどが挙げられている。
結局企業は人が作る
以上のようにみていくと、たしかにどれも企業価値に関わり、投資家が人的資本に注目するのは至極当然だと感じる。つまり企業というのは結局人が支え、将来の企業価値は人に依存するからだ。気候変動における排出量などと異なり、けっして新しいものとはいえない。アクティブ運用の投資家などは以前から普通に着目していたポイントではないだろうか。
ある外資系資産運用会社のESGアナリストは「最近人的資本と言って、企業は”キラキラなホワイト企業”であると強調するようなことばかり書こうとする。”社員を大事にする”というところが多いが、どういう意味で言っているのか不明なことがある」と厳しい指摘をする。「重要なのは透明性とか、経営者のアカウンタビリティだと思う」
つまりコロナパンデミックを乗り越え、気候変動をはじめとしたさまざまなリスクと不確実性が高まるこの時代に、投資家は今経営者に、改めて人の重要性を考え直して欲しいと考えている。国内でも人的資本の開示について様々な取り組みがあるが、やるべきことは新しいことでも珍しいことでもなく、本当に基本的な説明なのではないだろうか。