投函者(三井千絵)
昨今、日本でもTCFDの議論が盛んになってきたが、海外でもここのところ非財務開示といえば、TCFDの議論をしているといってもよいぐらい、非財務開示の代名詞のようになってきている。
フランスでは、2019年1月15日、経済財務大臣が、TCFDに基づく開示の必要性が高まる中で、Autorité des Normes Comptables(ANC 会計基準局)の代表Patrick de Combourg氏にTCFDの開示を行うためのextra-financial informationの開示フレームの開発を諮問した。
日本では、経産省や環境省がTCFDに力を入れているが、ANCとは日本で言えばASBJ(企業会計基準委員会)に相当する。ではなぜフランスでは会計基準を扱う機関でTCFDの開示の議論をするのか? しかも環境レポートではなく、”extra-financial information”と呼ぶのか?このフランスの取り組みを紹介しながら、TCFDの欧州の捉え方を考えてみたい。
1.TCFDとは
TCFDとはTask Force on Climate-related Financial Disclosureの略で、金融安定理事会(Financial Stability board)の元に設置されたタスクフォースである。企業に資金の出し手となる金融機関(投資家、銀行、保険)にとって、気候変動に関わる災害等で事業の継続困難や資産の毀損といったリスクに企業がどれほどさらされているかを知ることは、リスクを適切に管理し金融市場を安定化させることに役立つとし、そのために必要な企業開示のフレームの開発を行ってきた。その内容は、将来の気候変動によって自社の事業がどのような影響をうけるかシナリオを作成し、予想される財務的な影響を分析することが柱となっている。世界各国にこの考え方に賛同した企業がそれを表明し、TCFDが求める要件を開示することに取り組んでいる。TCFDでは様々な議論を重ね、2017年の6月に発表された最終レポートでは、その企業の気候変動リスクや機会を評価したメトリクスとターゲットを開示し、リスクをいかに管理しているか、気候変動が関連する事業と戦略がどうなっているかを説明し、企業のガバナンスについて述べることが推奨された。この開示はあくまでも”財務報告”と呼ばれており、財務諸表が開示されている同じ媒体での開示が求められている。
2.壮大な目標
ANCへの経済財務大臣の依頼は壮大なものだった。開発されるフレームワーク、”extra-financial reporting standards”は財務情報に匹敵するほど比較可能性があり、情報の質を高め、投資家だけでなく企業自身にとっても意思決定に用いることができるような信頼に足るデータとなることを求めている。そのためにまずは存在する多くのフレームワークを分析し、利用者の志向をつかみ、財務データとどう関連させられるか、どう開示できるかを検討するよう指示している。そしてそれが欧州サステナブルファイナンスのアクションプランに貢献でき、フランスだけでなくヨーロッパ、そして国際的なレベルのものとなるよう、様々な関係者と今後話し合っていきたいとしている。
つまりフランスはTCFDの開示をするために、非財務情報全体の標準化・フレーム開発に取り組もうとしているわけだ。
TCFDのシナリオ・アナリシスという開示要件は特殊に聞こえるが、実際の開示内容は前述のように、戦略やリスク、ガバナンスといった非財務情報の主要コンテンツに広く関連している。気候変動という事業を行う上で避けられない問題に対し、経営者は事業に対する影響をどう認識しているのか、それはビジネス上の機会なのか、リスクなのか、またそれをどういったガバナンス体制で対応していくのかを説明する必要があるからだ。
そしてTCFDのFがFinancial(財務)であり、財務諸表を開示する報告書への記載が求められている点も、フランスの取組みを促した要因だろう。財務諸表が開示される年次報告書では、TCFDの議論がなかったとしても、財務状況の説明となる非財務的な項目の全てが網羅されていることが望ましい。TCFDが”財務報告”だというのであれば、“環境レポート”、“気候変動レポート”というような個別にハイライトされたものではなく、非財務情報が財務情報に統合されたフレームワークがふさわしいだろうし、今それがなければ、そのようなフレームワークを作ろういうのがフランスのスタンスで、名称も“non-financial”ではなく、“extra-financial”として取組みを始めたのかもしれない。
3.世界各国の非財務の制度開示を調査
意外に知られていないが、EUには非財務情報も統合した法的な開示フレームがない国が多い。フランスもそのひとつだ。日本では有価証券報告書があり、非財務情報も開示府令によって比較可能なフレームに収まっている。しかしフランスをはじめ欧州の多くの国にこういったものはなく、非財務情報はCSR報告書、コーポレートガバナンス報告書と、企業が作成する様々なレポートに違った形で開示されているため、投資判断やエンゲージメントでESGの考慮が義務的に求められていく中、投資家の負担を押し上げていた。欧州の統合レポートのニーズはこのような事情から生まれている。
そこでEUでは2014年に、全欧州の従業員500名以上の企業に対し、特定の非財務コンテンツの開示をそろえる“非財務開示指令(NFRD)”を制定し、2018年までEU加盟国(当然フランスを含む)にその法令化を義務付けてきた。しかし2018年になると、欧州委員会は、その対応が加盟国によって財務諸表と別々であったり、タイミングも非常に遅かったりといった課題をあることを問題視した。そこにTCFDの議論が始まった。欧州委員会は2017年にNFRDのガイダンスを作っていたが、TCFDの開示要件をここに追加しようと考えた。早く対応できる方法として、これに別冊をつくりTCFDについて必要なガイダンスを記載することにした。(2019年6月に公表された)つまりTCFDを他の非財務開示に統合したわけだ。
その頃フランスでは、ANCが世界各国の非財務の制度開示の状況とGRIやIIRCのような国境を超えたイニティアティブを調査していた。3月末にANCを訪ねた時は、日本の開示府令まで詳細に調べていたことに驚かされた。そして5月には、“an ambition and a competitive advantage for a sustainable Europe”という300ページ弱に及ぶレポートが発行された。レポートの中では、まず財務諸表だけでは企業価値を示すことができなくなっていることは、全てのステークホルダーで共通した認識だと述べている。そして現在さまざまな環境の課題が出てきている中で、それらをカバーするフレームはそれほど成熟していないとしている。そのため今後取り組むべきこととして、非財務情報を分類し、表示のフレームを開発し、情報の標準化を進め、最終的にはデジタル化もできるようタクソノミの検討をすることもあげていた。
4.非財務の情報をもとにした企業価値の測定
そしてこれから開発するべきことに、非財務の情報をもとにした企業価値を測定する方法が必要と指摘されている。例えばP26 には、
There is now a very significant gap between book value and market capitalisation. It should be noted that market capitalisation expresses a value for minority shareholders. For transactions that result in control of the company (e.g. a takeover bid), the gap is obviously even wider.
といった記載がある。これはそもそも財務諸表が企業価値を表せなくなってきたといわれてきた昨今の議論を全て包含している。BSに数字として計上できない無形資産、リスクの測定、などが簿価と時価総額のギャップとなっている、という議論だ。
かなりTCFDの話から離れてしまったようにも見えるかもしれないが、実はこれがTCFDのために重要な土台だと考えているようだ。なぜなら、これらが財務に対する影響の説明をしたいとしても、現在はリスクやオポチュニティを文章で説明するだけで、それらの影響を数字として計算し企業価値(BS)に反映させるための標準化された方法がない。したがって「どうやって」それを表すかは各社の判断となってしまう。それでは一見数字でも企業価値を測定するためにレレバントなデータにはならないかもしれない。よくKPIなども提唱されているが、ANCのレポートはまずその課題を示し、それに対し今後取り組もうという姿勢だ。
ANCはこのようにTCFDの議論のために、非財務情報全ての論点について洗い出そうとしている。また日本のこともよく調べている。日本でもTCFD開示の議論が盛んになってきたことは良いことだが、まずTCFDのFが財務であることを思い出し、また他国に議論もよく参考にし(他国は日本のことも良く調べているのだから)議論を行ってみるべきかもしれない。
TCFDが求める開示はたしかに非財務情報・財務情報を統合するものだ。日本でも、この議論が環境の問題だけに閉じずに、企業価値全体を表す開示の議論に広がることが望ましいのではないだろうか。
※このフランスのレポートでは、日本の非財務開示の改革に、金融庁のスチュワードシップコード、コーポレートガバナンスコードの取組みがあったこと、経産省が様々なガイダンスを出していることにも触れられている。