(QP)シェアド・バリューやCSRの根拠は十分あると考えるが、時間軸を述べるときには「概念としての長期(視野)」と「保有期間の結果としての長期」を区別しておかないと誤ったインプリケーションを与える恐れがある。本文は、首藤論文を読んでインスパイヤされた個人的な見解・思い付きをメモとしてまとめたもので、スチュワードシップ研究会で議論した成果でも研究会を代表する意見でもないことに留意されたい。
首藤惠先生の「展望:コーポレートガバナンスとステークホルダー関係」(証券アナリストジャーナル2015年10月)は、コーポレートガバナンス・コードが株主以外のさまざまなステークホルダーとの適切な協働や責務が強調されていることに注目し、ステークホルダーに関する基本的な考え方とガバナンスとの関係を理論的に整理することをも目的としている。
まず、企業活動が株主だけではなく多様な構成員の関係から成り立つというTiroleの説を引く。それが株主、債権者、従業員、顧客、取引先などのステークホルダーだけでなく、自然環境に影響を及ぼし、社会の規範や制度などから影響を受けることを背景に、ステークホルダーについてFreemanの「組織の目的の実現に影響を与えうる、あるいはそれから影響を被るすべてのグループあるいは個人」を基本的な定義とみなす。ステークホルダーと会社の関係は事業特性などで異なるから、株主と経営者のエージェンシー問題と比べて多様で明確にはとらえられにくい。
観点として「株主価値か企業価値か」を提示したうえで、Jensenの「長期企業価値」の時間的概念の導入で、二つの価値の融合の道筋を見出す。つまり、株主と他のステークホルダーの利益を長期的企業価値に統合し、目的の多様化がもたらすあいまいさを解消できる、とする。Jensenはenlightened value maximizationとしている。違う観点からいえば、一定期間に価値を見つけるのではなく持続的に価値を生み出す投資機会を見つけることを目的とする投資家が存在するかという問いかけとなる。ゆえに「長期投資家の役割」が決定的に重要となる、と言う。長期投資家にも利害調整者としての役割を期待されるといい、Porter and Kramerのシェアド・バリューの考え方などもその方向にあると見る。また、「CSRとはステークホルダー関係の構築のための責任ある行動であり、企業にとって無形資産の蓄積のための長期投資と捉えられる」としている
さて、ステークホルダーか株主かという価値の違いを長期的には融合できるという視点に同意するとして、またJensenがそれほどこまかく「長期」とは何かを論じていないとして、論文において長期とは「保有期間」の長さのことであるという印象を受ける。別に「長期価値を追求する投資家」という言葉も出てくるのだが、「利害調整者としての役割」との言葉には長期的な「顔の見える関係」を想定しているように見える。そのような意図はないとしても、このままでは持合いなどネガティブな長期保有を「利害調整者」だと位置付けることも可能となる。
「長期価値は短期的に変わりうる」と改めて主張しておきたい。その変化を獲得するための短期保有は「長期的視野」に基づきうるし、当事者は変化のために会社との対話を重視するだろう。また一般にその主張は適切になりがちだろう。その変化こそイノベーションである。イノベーションとは、同じ投資あるいは資産でより大きな利益を生み出し、それが景気改善など一時的な事情ではなく、新商品や新販路などに基づいていて「元に戻らない」と期待できる場合を指す。
また変わった結果を新しいリターンの源泉と捉えると言う意味で保有期間の意味での長期投資家が存在する。変化した企業の株式を適切な価格でリスクと期待リターンが見合うならば、投資対象とするだろう(そう思う投資家が存在するから価値が上昇している)。良くなった会社にあれこれ言う必要がないから、投資スタイルは対話を重視しないかもしれない。どちらも長期的視野を持っているが保有期間が問題なのではない。
そもそも株式は償還金がないし金利支払いの約束もないので、原理的に投資は配当でしか回収できない。また、償還が無限に行われず企業がGoing concernと仮定される限り、株主はどこかで譲渡により現金を引き出すことになる。譲渡は将来の配当支払いの期待値(現在価値)による。その期待値は、通常イノベーションを仮定せず(既存事業に基づく)、サステイナブル成長率で推定される。逆にいえば、毎年の内部留保が0を超えている限り、利益の分配は先延ばしにされており、譲渡において想定される価値は、未来の配当の現在価値とならざるを得ない。株式は、そもそも償還がないという意味で無限期間の超長期の金融貸借であって、会社から見ればどう考えても長期資金なのである。仕組みとしてそれゆえバリュエーションとして、常に長期的であり、それ以外は違法な市場操作か流動性起源のボラティリティということになる。
株式投資家の保有期間が会社の実物投資期間などと関係ないからこそ、市場の効率性は確かなものとなる。効率性についてふたつの観点が必要だ。ひとつは経営者が常に最適な経営を行うこと、もうひとつは株主が適切な価格で譲渡できることだ。
まず経営者が「常に」としたが、これは短期的なステークホルダー間の調整を求める可能性を含んでいる。Jensenの意味での長期価値は(仮に株主価値と企業価値が一時的に異なるケースであっても)常に最大化を求めてよいはずだ。そうなると、必要なことは、情報の効率性のために、IRなどによる投資家への適切な情報提供と適切な価格付けの努力が行われることだ。もし短期的な価値の齟齬の埋める情報が企業秘密に関わるとすれば、社外独立の取締役が介入し、適切さを担保することができる。
情報の効率性が適切に維持されているとすれば、適切な株価が実現するために、将来の企業の事業のビジョンに合わせた適切な配当が行われ、無駄に非営業資産の現金が積み上げられたりしてない状態になっている(その結果PERが不要に(非効率に)低下せず適切な株価が形成されている)必要がある。ある株主の下で現金が蓄積され、次にアクティビストが現れて配当を要求するのは、その前の株主が適切に企業と対話していなかったことに遠因がある。株主は利益の分配とそれがうまくいかない場合の経営者の選択との議決権を有する。これは伊達ではなく対話の裏付けだ。返さない借金である株式の発行の代わりに、適切な配当を常に行っておくことが議決権を背景に投資家に社会的役割として要求される。不足であれば対話があり、決裂すれば議決権行使に影響する。一時的に現金を蓄積し将来の企業買収に備えるならば、社外取締役がそれをモニターして合理的判断を促すようにすればよい。
このような情報の適切な交換(代理の社外取締役のモニターを含む)が、効率的な市場を維持することで、株主は「保有すべき期間」を無理強いされることがない。市場は企業について利用可能なすべての情報を消化して価格付けを行う。ドル円が動いたり日銀の政策が変わったりすれば株価は変化するが、それはマクロ情報を消化して新たな値付けをしようとするからだ。
条件さえ整えば、概念的に株主は長期的である(償還を求めないし今期の配当だけではなく内部留保による配当成長の可能性ついて)に違いない。保有期間に関わらず株主は長期的な視野で価格付けを行い、自分の資金ニーズに従って売買すればよい。投機家やボラティリティに賭けるトレーダーは市場に流動性を与えるが、情報が合理的である前提では、それた短期的な流動性トレーダーの行動の結果として株価が元に戻らないような変化を与えると想定する必要は(少なくともこの文脈の中では)ない。
くれぐれも保有期間が長いということは、投資が失敗となって塩漬けになった株主や持合いなど株主としての利益以外の利益を持つ(結果として株主共同の利益を損なうことが多い)株主を含む。長期価値最大化のための政策インプリケーションとして、保有期間が長い株主を優遇することは間違っている。保有期間が長いほど配当が多いとか配当課税が少ないといった方法は、長ければ良いという誤った概念を助長する。
シェアド・バリューやCSRの根拠は十分あると考えるが、株主の保有期間が長いことが重要だ(良い)と言う規範は受け入れがたい(もちろんこの展望論文はそう主張していない)。ただし、時間軸を述べるときには「概念としての長期(視野)」と「保有期間の結果としての長期」を区別しておかないと誤ったインプリケーションを与える恐れがある。対話をする投資家は過去5年以上保有しているべきだといった言説も間違っている。会社について知識があり長期的視野で会社を分析し株主になる判断をするのにすでに5年費やしているかもしれないからだ。Jensenの長期価値を語るのであれば、ぜひ保有期間と視野の違いにも触れていきたいものだ。
2016年3月22日版
ペンネーム:QP