(投函者:QP)世界的な景気回復とリスクテイク姿勢の強まりなどから海外発アクティビズムが再び日本企業に対して活発化する兆しがある。しかし日本の伝統的投資家のアクティビズムの株主提案への対応は、以前とそれほど変わらず条件への文句などに終始しそうだ。本文は、アクティビストの対日政略についての勉強会の後に個人的な見解をまとめたもので、スチュワードシップ研究会で議論した成果でも研究会を代表する意見でもないことに留意されたい。

日本企業の現金の持ちすぎを主な対象として海外アクティビストやバリュー投資家などが意見を表明し議決権行使で日本の投資家に同意を求めてくるケースが増えそうだ。しかし日本の投資家は株主提案の内容が適正と思っただけでは、提案に賛成票を投じそうにない。本来適切な提案には賛成を投じることがスポンサーに対するフィデュシアリーと考えられる。仮に、さまざまな理由を思いつくことでそのように実行したくないとすれば、一言で言えば、高度なサボタージュだ。これは少数意見であろうと自覚しているので、読者はそのような意見もあるという程度に理解していただきたい。

1. 10年以上前のSファンド事例から企業の資金蓄積に至る過程

2004年ごろに活発だった米系のSファンドは、日本の2つの事業会社にTOBを仕掛け、会社側が増配で対抗し、両社の株価は上昇、ファンドは市場で売却したとされた。この2社の株主は、Sファンドと共に利益を得ることができた。しばしば「売り抜け」という言葉が使われるが、Sファンド登場前の株主が本来得るべきだったが得られなかったリターンをまとめて、Sファンド登場後に保有していた株主が獲得することになったのは、以前の株主の不作為によるものと考えることができる。適切な配当政策があればリターンは早目に獲得できた。逆に言えば、この点に目をつけ行動した投資家は、コミュニケーション・コストや株式保有リスクに応じたリターンを獲得した。さらに、この2社の株価はリーマンショックごろまで維持され、Sファンドが言葉上「売り抜け」たとしても価値を失わなかった。投資家が適切と思う配当政策が維持されたためだ。株価はSファンド登場前が不適切、その後が適切だったと判断してよい。

その後しばらくしてSファンドは食品会社SにTOB提案と共に不動産売却と本業のリストラを要求、メディアや産業界などの「株主として経営への責任がある」との意見に同調して、(著名コンサルタント会社に作らせたと噂になった)200ページを超える(筆者の記憶なので正確ではないかもしれない)事業計画のプレゼンテーションを、ファンドとして提示した。ファイナンシャル・バイヤーが経営の計画を持つことはそもそも奇妙であるし、好調な不動産事業の売却による資金調達と本業の立て直しあるいは合併等など経営方針の戦略の必要性は、株式アナリストなどを含めて幅広く投資家ソサエティに心情的に同意されていた。外部者であるファンドがそこだけに提案を集中することは適切に見えた。しかし、PRは不成功で、2007年の買収防衛策の廃止提案で委任状争奪戦も敗退、この銘柄については大幅な損失を出したとされた。その後のSファンドは、人材を入れ替え、アンダー・ザ・テーブルの企業とのネゴによる(今ならばエンゲージメントと言われるだろう)資本政策や配当政策の変更に方針を変更、ある程度リターンを維持したとされる。

2007年にエネルギー事業J社に対して、Tファンドが増配を要求、株主総会に向けてPR活動を行った。配当性向の低さと負債の小ささは株主に十分なリターンを与えられない資本構成につながるとの主張にも多くの投資家やアナリストが心の中で同意していた。エネルギー事業の特性から政府への弁明書の提出などを経て外為法に基づく株式買い増しの中止命令という結論に至るが、そもそも資本構成のあるべき姿などについての議論は深まったように見えなかった。このとき、日本の投資家の多くは、このように外国人が保有しにくい銘柄を狙った戦術を批判した。逆に言えば、どうせ日本の投資家は議決権行使で明確に再生しないのだから、外国人だけで賛成票を集めることが現実的と見る向きが多かった。

日本企業の現金蓄積はその後も続く。もちろんリーマンショック後のデフレ環境で投資チャンスが少なかったのは個別企業の問題ではない。しかし、デフレを強化継続させる原因のひとつに、企業の現金蓄積があったと考えることができる。日銀の資金循環でも、日本経済全体の観点から、企業は資金余剰を続けたことがわかる。更新投資のみで新規投資を避けたことなどは環境のせいではあるが、資金余剰を配当を通じて社会に還元すれば、投資家が消費や別の機会への投資を増やすことで経済が活性化するはずだった。この機能を押さえこんだのは、企業ではなく、(結果として)不作為の投資家だった。自らの利得のインセンティブを利用して、適切な事業リターンの分配を企業に要求することが、経済社会における投資家の役割であるにも関わらず、これを放棄して不適切な資金蓄積を傍観した。投資家の不作為は個別企業の非効率のみならずマクロ経済の非効率の(原因ではないが)維持に貢献していた恐れがある。

2. 日本のガバナンス強化への道

野党であった自民党から政策としてのガバナンス強化が提案され、安倍政権成立後2年目のアベノミクスの新成長政策と伊藤レポート発表を通じて、日本の投資家は態度を変えた。例えば、金融庁のリードで東証は上場企業のガバナンス・コードをルール化、各投資家はガバナンスを標榜する組織を作りスチュワードシップ・コードの受け入れ表明を行った。2000年台初頭のガバナンスは先進的企業と外国籍投資家がリードしたが、今回は、日本の投資家が変化し、企業と資本政策などについて語ることがある程度社会的義務として認知されるようになってきた。

しかし、委員会設置会社、各コード、持合い目的の開示と言った形式基準は、本質を変えなかった。保有目的は「取引関係の維持・強化」「経営上の関係の維持・強化」などと紋切り型の開示となり、委員会設置会社でも趣旨を理解しない社外取締役の盲目的かあるいは逆にうるさいだけのモニタリングに終始、コードはボックスチェッキング的ではないといいながらも「法律の専門家」の台頭を促すに終わり、(マクロ的な意味で)日本企業の経営のスタンスを「稼ぐ力」「効率改善」につなげる方向に至ったように見えない。

3.アクティビスト再来でも日本の投資家の態度は変わりそうにない

さて、2018年から、日本企業の現金の持ちすぎを主なターゲットとして海外アクティビストやバリュー投資家などが意見を表明し議決権行使で日本の投資家に同意を求めてくるケースが増えそうだ。世界的な景気回復でリスク資産が増え、アクティビスト型ファンドへの資金流入も増えている。さらに、伊藤レポートやコードなどの取り組みに加え、日本の投資家の態度が変わったことが認知されており、タイミングとしても良いと思われている。世界的にガバナンスに問題がある市場は多いが、日本は変化点にあるという意味では先駆的な方と言える。

ここで、想定として、日本のある程度有名な企業(あるいは多くのファンドマネージャーが保有している銘柄)の現金保有が大きいあるいは政策株式保有が大きいとしよう。具体的にはメディアのT社だ。海外からのアクティビストあるいはバリュー投資家(A社とする)の目に留まるに十分な問題を持っている一方、メディアは外国人保有制限があり(エネルギー企業の一部と類似)外国人投資家からのみのコミュニケーション圧力には限界も明確にある。外個人投資家は国内投資家に向かって議論のアジェンダを提示する役割をかってでるとしよう。

本来適切な提案には賛成を投じることがスポンサーに対するフィデュシアリーと考えられる。日本とか海外とかの区別はナンセンスだ。このケースでは、上で見てきた過去事例と同様、投資家から見ると、問題の所在は明らかで、事業そのものの見直しなどなくても資本政策の見直しだけで(例えば持合い解消と保有現金による配当)、短期的には配当によるリターン、長期には無駄な資本がないことによる資本のリターン(いわゆるROE)の改善が見込まれ、よほど悪意を持って経営しない限り企業価値は上昇してその水準を維持しそうだ。事業は一種の規制産業だし新しい技術の台頭などにさらされているものの、安定した利益の配分が長期的な投資などに悪影響を及ぼしそうにない(だからこそターゲットとなる)。

さてここで、A社が株主提案をする。理由は無駄な資産の放置、要求は配当増、時期は株主総会。日本の投資家は、T社の問題を十分理解しており、大枠A社に賛成だとしよう。問題提起は、日本の投資家はA社の株主提案に賛成票を入れるか、無視するか、どちらを選ぶのかだ。2018年2月時点での感触では、多くの投資家がA社提案を無視する(株主提案に賛成票を入れない)ことになりそうだ。

① オープンな議論は好ましくないので株主提案という形式では賛成できない
この意見は多い。一種のカルチャー論で、日本では公開の場での議論(国会等)はビジネスの現場とはかけ離れており、議論と多数決は少なくともビジネスになじまないとみる。アンダー・ザ・テーブルで充分話はできるのであって(適切なプロセスを踏む場合だが)、メディアの利用などPRは辱め的な意味を持ちやすい。日本の投資家は、問題企業が訪問してくれば問題を伝えるし、改善を年単位で待つことができる。必要であれば集団エンゲージメントなど組織対応で個別の顔を出さなくて済むほうが良い。ファイナンスを知らないとしても経営者を一般にレスペクトしており(すべきであり)、投資家も金目の下賤な議論の渦中にいたくない。

逆に言えば、日本の投資家は株主提案の内容が適正と思っただけでは、提案に賛成票を投じないということになる。スポンサーも類似の感覚を持っていると思う場合、さらに説明責任の観点からも、関わらないことが望ましいかもしれない。

しかしこの考え方は「正しい行動をする」ことを重視すれば受け入れられない。日本の仲間内(IRと投資家のコミュニケーションにおけるエントレンチメント)のやりとりでない方法で提示されたからといって、議決権行使を求められた時に正しいと思う方に票を投じないならば誠意はない。

② 提案内容が悪い。金目の下賤な提案に見える(投資家はわかっているが一般に財界、メディアなどに誤解される)。経営内容の提案を入れてほしい。
これも多い。現金を1回だすという要求はいかにも強欲でコミュニティを無視したあくどいものに見えやすい。本質的には、過去の株主の不作為が原因なので、現時点の株主が(待っていた甲斐あって)大きめのリターンを獲得し、その後の経営の適切な資本政策(継続的な変化)に期待して、株価(概念としては企業価値)が維持される。しかし、これを理解できるのは投資家だけなので、今後のアナリストとしての経営者とのミーティングに差し障るなどの気も遣う。日本には出入り禁止とか会社主催のアナリスト行事の連絡をしないなどのいじめ可能なコミュニケーション部分が残っている。

逆に、経営のアイデアがあったほうがいいという意見は、アナリストの傲慢な考えであることが多い。アナリストとしてはその内容に賛成するという言い方ができるのだが(いかにも分析した結果との言い訳)、実際にはファイナンシャル・バイヤーの存在を否定することを意味している。誰にでもおおむね了解できるようなアジェンダを否定し、複雑になること、悪い意味でプロフェッショナルにすることで言い訳を作ることになる。しかも、この部分がさまざまな意見を生み出す恐れは強い。あるアナリストには納得できても別のアナリストは異なる結論がありうるので、本来獲得できるはずの多数を失う恐れがある。

③ どうせ実現しないから賛成しない。持合いが大きくて賛成多数はあり得ないし個人投資家は元社員などの投票が多い。反対票を投じた投資家がドンキホーテになってしまう。
これは外国人投資家の保有制限のかかった銘柄へのアクティビズムの株主提案への批判にも多い。しかし、問題企業はおおむね保有制限や強い持合いの保護下にある。だからこそ日本の投資家の行動が求められているのだから、論理は逆方向だ。確かに、個別の機関投資家の努力では解決しないのだが、問題設定は「正しいと思われる株主提案に賛成する」ことが適切か、ということなので、どうせ実現しないから問題を見過ごすことは、結果としてマクロ的な問題の共有と解決の可能性を低下させる。国民にとっての選挙と同様で、一般の少数株主の最終的な意見発表という行動の場は議決権行使しかない。

④ 年金など運用会社の顧客層との利益相反の可能性。T社の持合いも含めたグループ企業の年金をとろうと営業したら断れるということでは困る。
T社とその友達に幅広く運用会社として拒否される恐れはある。これは①の既存スポンサーとの同調や②の経営者との対話への心配と同じようなソサエティでの同調の問題と、ビジネス上の利益の問題とを含んでいる。簡単に言えば、株主提案は適切なコミュニケーションではなく、日本の狭いソサエティでは喧嘩であり、あとあとうまくないことが起こるということだろう。

以上が、短時間ではあるが思いついた、日本の投資家がアクティビズムに2018年でも賛成しないだろうと考える理由だ。ほかにも、会社提案に反対する理由が(自社行使基準に照らして)ない場合、株主提案に一般に賛成しないといった理由もあるようだ。仮に、投資家がさまざまな理由を思いつくことでそのように実行したくないとすれば、一言で言えば、高度なサボタージュだ。適切な内容だと思う限り、議決権行使では内容で行動を選ぶべきで、形式で選ぶことは誠実ではないと考える。形式を適切にするように働きかけることが適切となることはありうるが、できるだけアンダー・ザ・テーブルにしようとする努力は、結果として日本経済全体の無駄な資金蓄積、資金回転率の低下を通じてデフレに貢献した恐れすらある。

しかし、もしアクティビズムの適切な株主提案に日本の投資家の多くが賛成する可能性を問われれば、低いと答えざるを得ない。

以上、ファクト部分を別として、価値判断(サボタージュとの認識)については少数意見であろうと自覚しているので、読者はそのような意見もあるという程度に理解していただきたい。

2018年2月9日版
ペンネーム:QP