投稿者(三井千絵)

2016年の金融審議会ディスクロージャーWG(以下、WG)での議論に端を発し、東京証券取引所(以下、東証)から提案された「決算短信簡素化」(東証は“自由度の向上”と表現)を反映した決算短信(以下、短信)は、この2017年3月期決算が初めての提出タイミングとなった。必ずしもWGの議論が当初からそれを目指していたとは思えないが、紆余曲折を経て“短信を早期に提出するために簡素化”という論調になり、自由度の向上とあいまって、短信のサマリー情報に企業が自由に項目を削減したり、独自の項目を追加したりすることを可能とする改正になった。

この改正により、今期は情報利用者にとって困った事例が発生した。例えば、同じグループに属する複数企業で、IFRS適用企業でありながら、短信のサマリー情報から包括利益を削り、自社独自の指標と差し替えたうえ、さらに発行済株式数、アナリスト説明会の有無、連絡先などを開示対象から削った企業があった。これについては、アナリストや報道機関など情報利用者からは「昨年まで記載していた電話番号を削ることのどこに“簡素化”のメリットがあるのか?」と指摘されていた。

東証は6月2日、2017年3月期の決算発表状況の集計結果を発表したが、この件については問題と認識していないようだ。(東証「平成29年3月期決算発表状況の集計結果について」 ) この企業も、「包括利益は財表にある」、「電話番号などHPにいけばわかること」という考えなのかもしれない。しかし短信が始まって以来変わらずに記載されてきたこれらの項目を削ったことによって、この企業が“失ったかもしれないもの”について少し考えてみたい。

 

英国に、地方公務員年金の運用会社がある。オフィスを訪問すると、年金基金に向けたスチュワードシップコードの理解促進や、議決権行使についてアセットオーナーとして理解すべきことを記載した様々なリーフレットが置かれている。

「日本にはESGの面でも大変良い会社が多いと思う。英国の会社などにくらべ、従業員を大切にしている。もっと日本企業に投資していきたい」と日本株担当者は話す。この団体では日本企業の評価や議決権行使の為のデータを「コーポレートガバナンスの専門家である、ある日本の大学の先生の厚意で公開情報を送ってもらっている」と答えた。その大学の先生に問い合わせたところ、東証TDNETにアップロードされるXBRLをダウンロードし送っているようだった。

 

東証TDNETのサマリーは、実はXBRLというファイル形式で提出されている。記載されている各情報には、それを意味するタグが付されている。これは2008年に東証が導入したものだ。タグはデータや情報(アナリスト説明会の有無など)の前後に挿入され、タグを見れば何の情報か外国人にも分かるようになっている。現在日本のほぼすべての情報ベンダーはこれを自動的に変換しリアルタイムで記事やデータをマーケットに配信している。

今回の“自由度の向上”は、従来の情報利用者にはインパクトになっている。ある情報ベンダーは、「大きな目的があったとは思えない」図表の形を変えたことによってXBRLのタグを間違えた企業などを残念に思っている。「例えばタグだけに頼っている外国人などがいたら、ダメージがあっただろう」という。この英国の運用会社も今年、アナリスト説明会の有無の情報を取ることはできなかっただろう。 (データなしではなくアナリスト説明会が)“なし”と判定されたかもしれず、地球の裏側でデータを利用している日本企業の良き理解者に、投資家との対話に積極的ではない会社であるとの印象を与えたかもしれない。

 

製造業を営む企業の最前線では、わずか数百円の乾電池を購入する消費者の為にも連絡先を記載しているだろう。世界中で様々な製品を販売し、何ヶ国語もの説明書を作成しているだろう。このように製品としては果たされている“説明責任”を、同じ企業の経理・IR部門では、「開示は企業の負担だから、できるだけ簡素化したい」という。基本的な情報を削ることで、継続して情報取得している利用者側が困らないか、思いやることは難しいのだろうか。

サマリーはもともと、様々な情報の中で重要事項を全社にわたり同一フォーマットで提供することが目的だった。東証は有識者の声を聞きひな型を提供してきている。2008年からタグ付きの書式になった背景は、これらの情報が取引中に開示されても、情報の取得に不平等が生じないよう、リアルタイムに分析・配信できるようにであったと思う。

統合レポートや環境レポートの開示の進展が盛んに取り上げられているが、その一方で重要なことがなぜか後退しているような気がする。投資家と企業の対話は、もしかしたらまだまだ入り口までたどりついていないのかもしれない。