(投函者:明田雅昭)

1.フォローアップ会議での資本コスト談義

2017年5月にスチュワードシップ・コードの改訂が行われたが、これに引き続いてコーポレートガバナンス改革を一層進めるべく「スチュワードシップ・コード及びコーポレートガバナンス・コードのフォローアップ会議」(フォローアップ会議)が2017年10月より再開されている。10月18日の第11回(再開第1回)フォローアップ会議では事務局から主な論点として、次の5つが提示された。
(1)投資と内部留保
(2)経営環境の変化に対応した経営判断
(3)CEO・取締役会
(4)政策保有株
(5)アセットオーナー
このうち、(2)は二つのサブテーマで構成され、その一つは「経営者の資本コストに対する意識を高めていく必要」と記されていた。この点について、事務局は生命保険協会のアンケートを引用して、「企業サイドでは資本コストを上回るリターンを上げていると認識している企業は半数近くに上るが、一方で、投資家サイドでは、約6割の投資家は、企業が資本コストを上回るリターンを上げられていないと認識している状況」であることを紹介し、「企業と投資家との間の対話の必要性があるのではないか」と指摘した。
当日の会議では、事務局が論点を説明した後、ICGNからの委員が、国際的な視点から日本のコーポレートガバナンスに関する問題点として、資本効率性、独立取締役の役割、政策保有株の3点を論じるプレゼンテーションを行った。その内容は独立取締役の役割と政策保有株に多くの時間を費やし、資本効率性への言及は少なかった。この後、委員が順番に発言したのだが、ICGN委員のプレゼンテーション内容を軸にしたコメントが大宗を占め、資本コスト低認識問題への言及はほとんど無かった(一部の委員が一部の文脈の中で資本コストという単語を引用したに過ぎなかった)。

11月15日の第12回(再開第2回)フォローアップ会議で事務局が用意した論点資料では、「資本コスト」という単語は消えていた。第11回会議で、ほとんど議論が行われなかったことが反映されたのかもしれない。事務局からの論点整理の説明の後、オムロン株式会社の安藤取締役が同社における統合的経営の実践についてプレゼンテーションを行った。オムロンは東証の企業価値向上表彰の2014年度大賞受賞会社で、経営の根幹となる指標としてROIC(投下資産利益率)やROEを使い、これが資本コストを上回ることを重視している旨の紹介も含まれていた。当日の自由討論では、このプレゼンテーションに触発されて資本コストに言及する委員もいた。この影響があったのか定かではないが、12月21日の第13回フォローアップ会議で事務局が用意した論点整理資料には資本コストという単語が復活していた。第13回会議では、冒頭に事務局から資本コストに関する議論を促す発言が何度もあったが、資本コストに言及したのは3名の委員だけで活発な議論があったとは言えなかった。ただし、筆者と同じく、資本コストは投資家側から企業に提示すべきであると主張する委員がいたことは記しておきたい。

資本コストはフォローアップ会議での主要論点の一つのサブテーマであるが、今のところ、委員間の注目度は必ずしも高くない。資本コストは、現在、論じられているテーマの中で最も馴染みのない難しい概念であることも一つの理由かもしれない。

2.市場関係者の資本コストに関する意識

2月5日にQUICK月次調査が興味深いアンケート結果を報告している。この調査は、証券会社、投信投資顧問、銀行、保険会社の市場関係者に当面の株式相場水準、株価変動要因、投資主体動向やセクター別の見通しを定点観測的に問うものだが、毎月、旬のテーマに関する特別質問を設定している。2月調査ではフォローアップ会議の論点を題材として取り上げていたが、一つの設問およびその集計結果は次の通りであった。

●持続的な企業価値の向上のために最も優先すべき課題は何か
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 証券会社 投資家  全体
------------------ ---- --- ---
過大な現預金の積み上がり・・・・・・・・・・・・・・   44%    28%    36%
経営者の資本コストに対する意識の低さ・・   37%    46%    42%
CEOの育成・選任プロセスの不透明さ・・    7%    5%    6%
社外取締役の実効的な取り組みの不十分さ    9%   12%   10%
進展の見られない政策保有株式の削減・・・・    3%    5%    4%
企業年金によるスチュワードシップ・
コードの受け入れの少なさ・・・・・・・・・・・・・・    0%    4%    2%
------------------- ---- --- ---
有効回答数・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   70    76    146

社外取締役や政策保有株よりも経営者の資本コスト低認識を問題にする声の方が圧倒的であった。政策保有株は資産効率を悪化させ、不健全な取引を誘引し、経営者の自己保身につながるなどの可能性があり、企業統治上で大きな問題を内包する。しかし、今次の企業統治改革の目的が企業価値向上であることを考えると、資本コストの低認識問題の改善の方が直接的な効果が大きいと考えられる。フォローアップ会議メンバーの中で、資本コストに言及したのは、市場に向き合った経験が多いと思われる委員であったことも考えると、市場に近い専門家とそうでない専門家の間で課題の軽重の認識に違いがあるのかもしれない。
QUICK月次調査では、資本コスト低認識問題の解決策についても問うている。結果は次のように、3つの選択肢が票を分け合ったかたちになったが、建設的対話でのテーマ設定と企業による想定資本コスト開示が各々約30%の支持を得ていたことに注目したい。

●資本コストに対する経営者の意識を高めるために何が重要か
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  証券会社 投資家  全体
-------------------- ---- --- ---
企業と投資家の建設的な対話のテーマとする・・  29%   31%   30%
企業が想定する資本コストを自ら開示する・・・・  29%   31%   30%
経営者報酬の企業価値連動の比重を高める・・・・  33%   30%   31%
経営者と経営幹部に資本コストの理解を
高める研修をする・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   7%   5%    6%
その他(注)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   3%   3%    3%
-------------------- ---- --- ---
有効回答数・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   70   77   147

この調査での自由記入欄のコメントで、「資本コストを意識するのは重要だが、そもそも正確な推定が不可能な点も考慮すべきだ」と強調するものもあった。フォローアップ会議での委員発言の中にも「資本コストはいくつかあるからどの資本コストを使っているのか定義を常に意識すべきである」という指摘もあった。
資本コストを議論する際に、株主資本コストなのか負債コスト込みの加重平均資本コストなのかを明確に認識することは重要である。それによって事業目標とすべき利益率指標が異なってくるからである。株主資本コストはCAPMで推計するのが一般的であるが、市場リスクプレミアムやβの推計に小さくない誤差があることも確かだ。しかしながら、M&Aや企業内での投資意思決定判断においてCAPMから推計した株主資本コストを利用するのは欧米では一般的であるし、日本でも定着しつつあるのも事実だ(例えば、芦田敏夫、花枝英樹”日本企業が用いる投資評価手法とハードルレート:サーベイ調査に基づく実証分析」、日本ファイナンス学会、2012年5月)。資本コストの概念は、決して難しすぎて現場で受け入れられないというものではない。

3.先進的企業での資本コスト認識の拡がり

昨年12月初旬に興味深い新聞記事があった(「投資基準、採算厳格に」、日本経済新聞、2017年12月8日)。投資採算や業績を重視する企業の姿勢がかえって投資を抑制し、現金が積み上がる一つの要因になっているというのだ。その中で、ニコンの財務部長の発言が紹介されている。
「企業統治強化の流れが大きい。収益性を重視し、事業投資へのハードルは高くなっている」、「16年に「売上成長から収益性の改善」を掲げる構造改革に着手し、投下資本利益率(ROIC)が一定水準以上でない設備投資やM&Aは却下している。この結果、デジカメの不振などが響いて営業CFは低迷気味なのに、投資抑制の影響が上回って現預金は10年前に比べて2400億円強増加している」
ニコンのこのようなアプローチは正にファイナンス理論の教科書的にいえば正しい。明示的な言及はないが、この一定水準とはWACCに対応するものであろう。もしそうならば、純現在価値(Net-Present-Value)がマイナスの投資を却下していることになり、企業価値理論的には投資実行より現金保有の方が価値毀損がないだけましである。ニコンは2016年11月の構造改革宣言以来、このアプローチを取っているが、その後の株価推移は東証株価指数対比でみても堅調である。2月8日には営業利益の上振れ見通しを発表し、翌日は株式市場の大幅下落の中で逆行高を演じた。

4.最後に

今次の企業統治改革の目的が企業価値向上であることを考えると、資本コスト低認識問題こそ本丸ではないかと思う。オムロンやニコンのように実際に資本コストを意識した経営を行っている先進的な企業との建設的な対話で資本コストの水準について真摯に議論してみたらどうか。それで、どのように資本コストを議論すべきかの標準的な方式を確立し、資本コストの認識が低い企業との建設的な対話へ応用していくのが一つの現実的な展開ではないかと思う。

(2018/03/08追記)第14回フォローアップ会議(2月15日実施)の議事録を読むと、資本コストへの注目度は一気に高まっているようです。