投函者(三井千絵)

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画:中谷幸司 CFA

 

東京証券取引所は昨年7月から、「市場区分の見直しに関するフォローアップ会議」を設置し、会合をかさね今年1月に論点整理を発表した。同日、その論点を踏まえた今後の対応方針も発表した。これはそれまで22年に行われた市場区分の見直しの結果に失望していた市場関係者を驚かせた。フォローアップ会議はその後も続き、論点は投資家や市場関係者にとって、基本的にはポジティブに受け止められた。

筆者は、東京証券取引所の菊池上場部長と機関投資家の意見交換の場に同席する機会を得た。様々な意見が交わされたが、本稿ではその時議論になった点について一つ取り上げ、投資家側からみた複数の論点を考察してみたい。

 

東証の論点整理と対応方針

フォローアップ会議がまとめた論点はまず、日本経済の持続的な発展のために、また家計の資産を投資に流す必要性から、産業・経済の新陳代謝や、イノベーションの推進が重要であると述べている。そしてそのために現在上場基準に関する経過措置について、今後の扱いを明確化すること(上場廃止を明確にすること)、上場基準を満たしていても、資本コストを意識した経営の推進のため、PBRが1以下である企業に対し現状認識や対策を求めることなどが挙げられていた。

22年の市場区分の見直しでは、新市場は企業が希望すれば基準を満たしていなくても選ぶことが可能で、基準満たすための期限も未定だったことで「結局改革は行われなかったに等しい」という思いを抱かせた。これが少なくとも期限が設定されることに加え、基準は満たしていてもなお半分ぐらいの企業のPBRが1を下回ることを問題視したことは、意見交換会に参加した投資家はみな高く評価していた。

この「資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応」の要請には、PBR以外にもさまざまな項目が挙げられていたが、まずそれらを開示すること、そして投資家と対話することが求められていた。

 

ある投資家から「待った」の意見

ある参加者は必ずしもこれに歓迎していない。A氏は「現在さまざまな企業と対話をしているが、ビジネスモデル、事業ポートフォリオの見直し、政策保有株問題、サステナビリティの課題や人的資本までさまざまな課題があり、時間がかかる。したがって現在1800社も上場しているプライムの全ての企業が対話を行うことは現実的ではないと考える。」と切り出した。

そして「所属する部署ではパッシブ運用のスチュワードシップ活動を担当し、多くの企業と対話を実施しているが、プライム市場の半分ぐらいは投資家とのコンタクト(IR活動)をしていない」と述べ、「対話促進は良い取り組みだが、企業から“XX運用会社に対話を申し込んだが応じてくれなかった”と開示されること避けるべく、アリバイ作り的な対話要請に応じざるを得なくなる、そして必要な業務への体力が削がれたり、対話の質に影響すると、結果的にインベストメントチェーン全体への悪影響に繋がる。そもそも、プライム市場対象が1800社となることに失望した。まずプライムの社数を減らすべきである。最も重要なことは「健全な競争原理を導入し、企業間の切磋琢磨を促すことだ」と強く主張し、これに共感を示す他の参加者もあった。

 

対話には時間がかかる

企業価値向上のための対話には、時間がかかる。B氏は「ある企業で、事業環境の変化に合わせてビジネスモデルの入れ替えを上手く進めてきていたが、PBRは 0.6 倍程度という企業があった。この企業との対話において自分は、なぜROEやROICといった資本効率を上げる必要があるのかについて、何度も何度も話してきた。しかし何回話をしても変化の兆しを感じることができない」と、議論の後にそう話した。だから東証が言うように対話をしたからすぐに変わるというわけではないかもしれない。また変わるためには投資家が一社一社、膨大な時間をかけなければならない。「自己資本が肥大化し余剰があることは認知できても、それが悪いと考えていないケースもある」とB氏は述べ、また2014年にはじめてコーポレートガバナンスコードの議論が始まってから9年目に入っているのに、未だに持ち合い株主についても株主だけが理解をしてくれないと不満をぶつけてくるIR担当者もいるそうだ。

それでもB氏はA氏の言うことには100%は賛成できない。それでも対話を行うことが投資家の責任だと感じている。一方気になるのが、プライム上場企業に求められるESG対応だそうだ。「どうもESGという声が大きくなるほど、形式基準を満たすこと、あるいは満たさないことの言い訳作りが、発行体企業の仕事となってしまい、腑に落ちるディスカッションになかなか到達できない」とB氏は感じている。

 

運用機関の社会的責任

C氏は、運用機関のビジネスとして、「対話コスト」は重要な問題である、と考えている。従って運用機関に、安易に「対話」の実行を求める行政や東証の風潮に対し、ビジネスとしての運用機関の経営を踏まえてほしいという意見は理解できる。そこで日本の投資家はぜひ協働エンゲージメントを考えてみて欲しいし、行政にもそれがやりやすい環境を整えて欲しいと思っている。

また企業にも「対話」というと会って話をするだけが目標となる。意見を伝えるのであれば、投資家側は経営者にあてた「レター」でもよいし、経営者側はより良い開示を行うことも、広義の意味での対話だと考えている。C氏は、A氏の意見はわかるものの、一方で運用機関には投資先企業の企業価値向上に対する責任があり、また「社会的責任」としてESGにもビジネスとして取り組まなければならない、と言う。日本の場合、企業のガバナンス課題の解決に働きかけるのは「社会的責任」である、とC氏は考えている。

 

スチュワードシップ・コードを踏まえて

D氏も東証の要請案を見た時には、新たに「対話」を求めてくる上場会社が増えるのではないかと少し心配したそうだ。しかし、スチュワードシップ・コードができて「機関投資家は企業と対話すべき」とされたときに、企業が「投資家から件数稼ぎの対話の申込が増えないか」と心配したことの裏返しだとも感じている。

スチュワードシップ・コード原則4-3では、パッシブ運用の主旨を踏まえたうえで「パッシブ運用を行うに当たって、より積極的に中長期的視点に立った対話や議決権行使に取り組むべきである。」とされている。

 D氏は、企業が「投資家と話したい、投資家の意見が聞きたい」といって申し込んでくるなら、それは基本的には歓迎すべきことで、「責任ある投資家」なら前向きに考えるべきことだと考えている。投資家がするべきことは、東証に不満をぶつけるのではなく、パッシブにふさわしいエンゲージメントの方針・戦略を確立し、その方針を企業や社会にしっかりと発信し、理解してもらうことではないか、と言う。膨大な数の会社に投資するパッシブ運用のエンゲージメントをどのように行うのかは、スチュワードシップ・コードの規定が定められた時から、向き合うべき課題だった、とD氏は考えている。

 

東証の要請は、今後どれだけ日本企業に浸透し、企業価値向上に貢献するだろうか。すべては、これをどのように受け止めるか、投資家側にかかっているかもしれない。これを機に、投資家側も“対話”の在り方について主体的に議論し、何が必要か、意見発信をしていくべきではないだろうか。