投函者(三井千絵)

英国ではあらたな感染拡大によって、11月から2回目のロックダウンが始まっている。企業による年次報告書の提出期限も延長し、今年からはじまる予定だった年次財務報告の電子提出も延期となった。しかしどんな状態であっても投資家は企業の評価を続けなければならない。そのような中、FRC(Financial Reporting Council, 英国の企業開示のレギュレーター)は、10月14日、今年からはじまった“会社法セクション172(以下s172)、経営者の義務であるステークホルダーへの考慮”の開示について、“Tips of Help”というガイドを提供した。

 

会社法セクション172

FRCは今年発表された各社の年次報告書をみて、会社法S172の開示(Section 172 statements)を投資家にとって有益な情報にするための分析を行った。S172は2006年の会社法改正で導入されたもので、経営者の責任として、従業員や顧客、サプライヤーといったステークホルダーや環境などに考慮をすることを求めている。しかし導入から10年を超えても、経営者の心得以上にはならなかった。この位置づけが大きく変わったのは、2018年のコーポレートガバナンスコードの改訂で、その頃議論されていた課題、経営者の責任においてこの条項をきちんと履行していることが重要ではないかと、クローズアップされた。そして企業は、経営者がどのような考慮を行ったかを年次報告書に開示することが求められ、開示するとなれば、なんらかの取り組みが必要ということから事実上の効力が期待された。新しい開示は2019年12月末に終える事業年度の報告書から適用であるため、コード改定から2年たってFRCは今年やっと事例を集めることができた。

前回の改定の議論は、2016年のブレクジットの議論で”分裂”しそうになったイギリスをまとめるため、政府がコーポレートガバナンスの改革に力を入れたことから、経営者のあり方に焦点の一つが置かれた。経営者が労働者をないがしろにし高い報酬を得たり、環境やサプライヤー、しかも顧客対して十分な配慮・考慮を行わない、ということを改めるよう取り組むことになった。そして政府全体の研究レポートやコンサルテーションを経て、FRCにコード改定で報酬開示の強化や、経営者の他のステークホルダーへの考慮を実現させる開示や制度の提唱が諮問された。その頃英国の投資家にも「コーポレートガバナンスの向上のために様々な取り組みをしたが、いまだに経営者は投資家の声を聞かず、業績からみて納得できない高額な報酬を手にしている」といった不満が聞かれていた。またEU全域でもESGに関する開示の議論が高まっていた。S172の対応を開示することは、ESG開示が求めるものをカバーしており、その改革にも役立った。こうしてS172の開示はコンサルテーションを経て改訂コードに含まれ、2020年の年次報告書から開示がはじまった。

 

FRCが求める開示

ところでS 172 Statementは投資家にとって有益なのだろうか。投資家にとって有益な情報であるためには、ステークホルダーへの考慮やESGへの取り組みが企業価値の向上のドライバーになっている、あるいはリスクの評価に適切な情報の提供になっている必要がある。つまり単なる“考慮”ではなく、ステークホルダーへの考慮を何のために行い、何を達成しようとしているか、またどういった責任体制で行っているかを説明する必要があるだろう。

FRCが発表したTips of helpでは”Building in useful content”として記載の注意点をあげている。冒頭、 “ボックス・チェッキング”にならないようにと言明し、これは単なるコンプライアンスの練習ではない、取締役や経営陣が何に取り組むのかを具体的に説明するように、と述べている。まず自社のステークホルダーを特定し、効果的なエンゲージメント方法を示し、それがどのようなフィードバックをもたらしたかを記載するべき点として挙げている。KPIを用いて説明することを勧め、それが自社のビジネスモデルや戦略にどのようにリンクしているか、また今後の計画はどうなっているかを説明することを求めている。そして取締役会がどう関与しているか、また重要な点としてポジティブな面だけでなく、困難なこともきちんと説明すること、と述べている。最後にS172 Statementは年次報告書の他の部分と一貫性を保つことが必要であるとまとめている。つまり事業の戦略や成果の一つとして報告して欲しいということだ。

 

投資家にとって必要な開示

FRCはこの資料をまとめるにあたり、投資家の意見も聞いている。投資家はこのStatementがレポート中のどの部分に記載されるべきかについては特に強い希望を示さなかったという。しかしFRCは情報の見つけやすさについて記載する順番についても助言し、内容が明確になるようにラベリングをすることや、互いに参照リンクを設定することも勧めている。なるべく具体的なケースを書くことも効果的であると繰り返し言及している。FRCはまとめとして、この開示の重要な点は会社法をなぞるのではなく、取締役会が自社の事業の成功を追求するためにステークホルダーとどう関与していくかを考え、そして実行して成果をだす、これらを説明することに意味があると強調している。

このようにみていくと、S 172 statementは特別なことではなく、事業には顧客がいて、サプライヤーがいて、それを実現させる従業員がいる。つまり事業戦略のコアコンピタンスであり単にそれを説明せよといっているのかもしれない。そして重要な点は、それに取締役がどう責任を負っているか、またどのように実現していくかを説明することといえるだろう。まさしく投資家が投資先企業を理解するために価値ある情報になる可能性がある。

 

コロナ禍の中で

S172の開示は今年始まったということもあるが、今の時期にこの発表をしたことについて、FRCのダイレクターは次のように述べている。「S172の開示は、企業のステークホルダーの重要性に光を当ており、特にCOVID-19が現在直面している課題の中で、取締役会にはこれらの問題についてますます議論して欲しいと思っています。このTips of hintsが企業にとって次の開示を検討する際に役立つことを願っています」

ステークホルダーへの考慮の重要性は、日本でも昨今話題となっている。S172の開示はステークホルダーへの考慮を企業の戦略にくみあわせて説明することをもとめた、あるいみうまいやり方のように思う。わずか2ページの要点をまとめたシートなので、ぜひ一読してみることをお勧めしたい。