投函者(三井千絵)

 

最近国内の運用会社で、ESGの投資方針を改めて発表したり「ESGファンド」の定義を発表するケースが見られる。EUや米国で次々と導入されるESG投資の開示やファンド名称、分類についての制度改正が、国内の運用会社まで影響しているように見える。EUでは、数年前から投資家(投資ファンド)の開示規制SFDRが導入され、そのためにESG運用で有名な老舗のファンドも、あらためて長年の顧客と「投資契約」を見直した。ESG投資をしているとラベリングするのであれば、EUが設けるESGの定義(EUタクソノミ)にあっているかどうか様々な開示が求められる。その結果意図しない売却を余儀なくされ、これまでの運用契約や運用方針と矛盾をきたすことがないか、再点検が求められた。EUの“SFDR”の騒動がおさまったころ、今年の春今度は米国で似たような規制の導入に向けたパブコメが行われた。こちらではESGの定義こそ提供しないものの、投資方針によってはESGという言葉をファンド名につけられなくなる可能性もある。ファンドマネージャーの中には、そのファンドが何と呼ばれていようと、何に分類されていようと、かまわないと考える人もいるかもしれない。しかし営業に責任を負っている部署には重大だ。EUでは法律でアセットオーナーの責任として「ESGと分類されるファンド」を持つことが求められてきた。米国ではテーマや対象ごとに州やセクターでさまざまな議論がある。与えられたESGの定義にあわせることはアセットオーナーにはわかりやすくなるが「投資できるところが少なくなる」と、ある日系大手資産運用会社の責任投資の担当者は懸念している。それは顧客にとってベストな投資を行うことの妨げになるかもしれない。

 

ロシア・ウクライナ侵攻はESGに対する考え方を変えたのか?

8月後半、三井物産と三菱商事は、ロシア極東の資源開発事業「サハリン2」に参画することを表明した。日本政府からの協力要請があったこともあるが、経済制裁中のロシアで、ガス事業であるにもかかわらず、これについては内外共にESG投資家も容認気味だ。「基本的に我々の姿勢は変わらない。ロシアのウクライナ侵攻でエネルギー安全保障の懸念もあり、またガスも短期-中期的な移行のためでしかない。そもそもロシアには経済制裁中だ。ロシアの石油ガスの収益は大量殺人への資金供給になる」という姿勢を保ちつつも、この2社の今回の決定が投資判断に影響するというケースは聞かない。そして「個人的には、日本にいれば台湾のこともあり、距離的に近いロシアに対しては、様々な考慮すべき事項があるのかもしれない」と慎重な意見もある。ロンドンの運用会社で、ESG投資で著名なポートフォリオマネージャーもこの件に関しては「政府の方針で、この2社の問題ではない」と語った。

今年の1月にEUではEUタクソノミにガスと原発を追加する提案がなされ、半年ほど議論されたが最終的に追加が行われた。当初から投資家グループなど反対意見をあげたが、その後ロシアのウクライナ侵攻が始まった。投資家の意見は変わったと感じるか?と前述のポートフォリオマネージャーに問うと、「少し変わったと感じる。特に安全保障に関する分野では。しかし非常に様々な意見がある」と答えた。別の年金基金の投資家は「コンセンサスは変わっていないと思う。ガスや原発、武器についてはそれらがスクリーンアウトされる時、議論となっている。ロシアに対する投資は持続的とはいえず、日本の2社はサハリン2に参加すべきではないと考えるが、現実的にはエネルギー・安全保障・地政学な観点から、そうしなければならないのだろうと思っている・・・」と述べた

日経新聞は7月末、2022年3月期の有価証券報告書では2割にあたる企業がロシアによるウクライナ侵攻が業績へ影響したと報告していたことを報じた。多くはロシア事業の減損や、燃料価格、資源価格の上昇だ。経済制裁があり、リスクもある。侵攻に加担せず気候変動リスクを高めず、事業や安全保障を考慮する・・・いったい何をとるのが答えなのか、非常に見えにくい状況になっている。

 

相次ぐESGの政治的利用

「経済制裁は既になりたっていない。まるで西側諸国が制裁をうけているようだ」とある香港のヘッジファンドマネージャーは漏らした。経済制裁の持続性や効果について疑問が高まっているという。台湾の緊張も高まっている中、香港では最近特に現地の人の間では政治や国際情勢についての話題は嫌われる傾向にあるそうだ。また別のシンガポールのESGアナリストは、やはり「投資家のあいだではESGへの関心より政治的影響力のほうが強くなっている」と感じている。

ある米国の日本株に投資するアクティブ運用の投資家は「従来ESGは企業のファンダメンタルズに影響のあるようなことを見てきた。ところが今は、レギュレーターがESGを定義し、企業も一部の投資家もプロモーショナルになった。そのような中、ESGはますます政治に利用されている」という。

Financial Timesは8月29日、Ratings companies come under fire in the anti-ESG crusadeという記事を掲載した。記事は「米国の投資家はESG地雷原を乗り切る問題に頭を悩ませる」とはじまり、昨年サステイナリティクスは、ユダヤ系グループなどから、イスラエルのパレスチナ支配によりボイコット、ダイベストメント、制裁(BDS)を受けている企業の格付けが低いというクレームを受けた。サステイナリティクスはこれらのBDSと格付けはなんらリンクしていないと説明したそうだが、その後18の共和党の州から「サステイナリティクスは反イスラエルの偏見を持っている」という抗議のレターが送られたそうだ。前述の米国の投資家もこのニュースにため息をつく。

一方フロリダ州とテキサス州は8月25日、州の年金基金にESGの要因に基づいて投資を行うファンドや企業に投資することを禁止する動きをみせたとバロンズは報じた。この2州はポートフォリオマネージャーに、受託者責任に基づきパフォーマンスを優先することを求めたとそうだ。これはトランプ時代にERISA法改定で行われた議論と似ており、当時投資家は「運用は受託者責任に基づいて行っており、投資のパフォーマンスに影響を与えるからこそESG要因をみているのだ」と主張した。これはまっとうな意見で多くの投資家はそのように考えているだろう。しかしバイデン政権になり、気候変動対応への責任が前面に押し出されるようになった。バロンズによるとテキサス州は、すでに化石燃料に投資する企業をポートフォリオから外した350のファンドを外すと述べ、米国のNPOインベストメント•カンパニー•インスティテュート(ICI)は「ファンドマネージャーは受託者責任を負っており、州が特定のファンドをボイコットすることを求めた場合、全てのファンドから最良の選択を行う動きが制限される」と反対を表明した。フロリダもテキサスも気候変動の悪影響をどこよりも受けている。リストに載せられた一社は「自分たちはエネルギー企業への投資を行っており、それはクライアントの利益を最大限にするためだ」と反論、ICIも「政治よりテキサス州の住民の利益を考えるべきだ」と主張していることをバロンズは報じている。

 

従来からのESG投資家の苦悩

ICIが述べるように、多くのファンドマネージャーは受託者責任を最優先に、顧客の利益の最大化のためにESGの考慮を行ってきた。福島原発の事故、数々の品質不正、ガバナンスや環境、社会に対する考慮の欠如は必ず最後は企業価値の毀損につながる。一方、環境問題や社会・人権問題は政府が取り組むことで、実際に収益に影響が出るよりも早く、企業価値の毀損が明確になる。そしてそれがサステナブルファイナンス以降、政府は求める政策にファイナンスが流れるよう、様々な環境を整備した。EUタクソノミはその一つだ。今起きていることは金融・投資の問題ではなく、政策上の問題といえるかもしれない。

社会全体の価値創造という点で仕方がないのかもしれない。しかし、従来からESGの要素と企業価値の関係を研究し、エビデンスを集め投資を行ってきた伝統的なESG投資家からすれば、突然嵐に巻き込まれたようなところがある。「正直、祭りの山車がやってきて巻き込まれている気持ちです」ある日本の独立系アクティブ運用のファンドマネージャーはため息をつく。今年に入ってから市場は荒れており、多くの運用者の成績も振るわない。

それでも企業も投資家も、今できることは今こそ自分の在り方をしっかり見つめ、多少の暴風雨にも怯まず、あるべき場所にしっかり立ち続けることではないだろうか。そうしていれば、いつか空が晴れ渡る時がくると信じたい。