投函者(三井千絵)

 

ステークホルダーとガバナンスコード

今年はコーポレートガバナンス・コード(以下CGコード)の改訂の年だ。現時点では社外役員や女性の更なる登用などが注目されている。もう何年も議論されているが、なお数字を高めたいということのようだ。

アジア諸国に比べ日本のCGコード導入は比較的遅く、これまでは金融庁等は英国などのコードをお手本に、日本のコーポレートガバナンスをグローバル基準に近づけようと取り組んできた。しかし昨今、その英国、そしてEU、また米国でも、これまでの日本での議論とはまるで逆行するような点が注目されはじめた。極端に言うと「株主以外のことも考えろ」という議論だ。(株主以外の)ステークホルダーへの考慮が、英国では2018年のコーポレートガバナンスの改革で、米国では企業によって構成されるNPO「ビジネス・ラウンドテーブル」によって出された声明文で、また2020年1月のダボス会議でも「ステークホルダー資本主義」として取り上げられた。さらにEUでも今、Sustainable Corporate Governanceという新しい取り組みがはじまっており、その様々なテーマの中で“ステークホルダーへの考慮”についても議論が行われている。

このように今、同時期に、世界各国で行われているコーポレートガバナンスの議論に新しい論点が生まれている。これはそれぞれの国で理由は違えども「コーポレートガバナンスとは、何を求めているものなのか」ということが、昨今の企業価値の考え方の変化の中で、あらためて見直され始めているためではないだろうか。

 

英国会社法のS172

英国では直近のCGコードの改訂で、企業の取締役は、従業員や顧客、サプライヤーの利益や環境を考慮することを求められた。実はこれは新しい概念ではなく会社法のセクション172(以下s172)にそう書かれていた。しかしそれを具体的にどう実施してもらうか、は示されていなかった。これを、”どのように実施しているか”の開示を求めることで実効性を持たせた。しかしこれは、CGコードとは株主を第一に考えることとして議論してきた日本の関係者を当初当惑させた。

英国でこのような取り組みが行われた背景は、2016年に遡る。ブレグジットの決定を経てメイ政権が始まり、政府としてコーポレートガバナンス改革に取り組むことが掲げられた。注目されたのは、役員報酬の高騰に対する人々の不満だった。2016年11月、BEIS(ビジネス・エネルギー・産業戦略省)による調査レポート、グリーンペーパーが発表され、英国のコーポレートガバナンス改革に必要なこととして従業員と役員の報酬の比率(ペイレシオ)の開示や、報酬委員会の強化などが挙げられた。そして取締役会の責任として、従業員の声を聞き、顧客やサプライヤーのことを考え、環境に配慮した経営をさせるということがハイライトされ、実装として、従業員の代表をボードメンバーに、という提言がなされた。

これを受けてFRCによるコード改定の議論がはじまると、この部分には反対意見もあがった。最終的には他の選択肢も提供され、社外役員の一人が従業員の声を聞くことに責任をもつという方式と、ステークホルダーパネルを設置するというやり方が導入された。EU全体では、もともと従業員や株主以外のステークホルダーにも注目する考え方はあったが、2020年末から2021年2月にかけて前述のSustainable Corporate Governanceという新しい行動方針へのコンサルテーションが行われており、この冒頭に「従業員や顧客などステークホルダーの利益を考慮するべきだと思うか?」という問いが挙げられている。

 

良いガバナンスの指標は?

ところで改めてみてみると、英国のコーポレートガバナンスの議論は様々な点で、日本で一般に思っていたことと異なっている部分がみられる。たとえば役員報酬では、CGコード導入後は、海外にならい収益に連動するインセンティブモデルの導入が増えている。しかし実際今英国では、CEOの報酬はともかく、社外役員、特に報酬委員会のメンバーなどは高くないほうが良いという意見もある。インタレスト・コンフリクトを避けるための考慮だ。また株式型の報酬は社外取締役には良くないといわれている。冷静にリスクを見なければいけない社外取締役が、株価に踊らされては困るからだ。

日本では「稼ぐ力」とともにCGコードの議論が始まったため、「長期経営」といいながら、同時に「ROE革命」といったフレーズが強調されてきたが、これは利益を操作したり短期の収益をあげることへのインセンティブにもなりかねない。

今熱心に議論されている女性取締役の数も、海外ではLGBTの議論の高まりから性別を特定しないほうが良いという議論もある。また、ボード・ダイバーシティについても、取締役はその能力によって選ばれるべきで、その属性で議論されるべきではないという意見もでてきている。誤解を恐れずにいえば、女性役員が何人かとか、社外役員が何人かという議論は、直接的に企業の長期の価値創造には関係がない。重要なのは、そもそも我々は何を求めてコーポレートガバナンスの議論をしてきたのかということだ。

 

従業員と投資家は同じ船に・・・

今なぜ、ガバナンスの議論で他のステークホルダーへの考慮が求められているのだろうか。

長期の企業価値向上には、本当は従業員という資源をよりよく活用できるかどうかが鍵となる。なぜかというと従業員のインセンティブが企業の収益向上と結びついた時ほど強いものはないからだ。簡単に転職ができるのはやはり労働者全体では一部であり、多くの従業員にとって所属企業の長期の成功に人生がかかっている。そうすると投資家と従業員は同じ船に乗っている。その恩恵を受けるもの同士が力を出し合って目的を実現させていくのであれば、長期投資家と従業員が、経営者がそのために十分な責務を果たしているか、それぞれが別の立場からより良い経営の実現を要求するのが実は一番良いと言えるのではないか。

そう考えると英国のCGコードの議論は、ものすごく的を得た、株主の利益のためになる施策だったかもしれない。それでも英国でもまだ、これに冷ややかな投資家も多いと、ある年金基金のガバナンス担当者は感じている。コーポレートガバナンスの一環としての従業員の重要性の議論はどの国でも広くは共有されていないし、まだ始まったばかりだ。移り変わる状況の中で、コーポレートガバナンスの議論も刻々と変化する。常に新しい課題が現れる。

日本もCGコード改訂の年にあたり、グローバルで議論されている新しい論点をとりあげなくて良いのだろうか。また我々はいったい企業に何を求めていて、どのような経営者の責任が必要で、どういうガバナンスがあればそれは実現するのかを今一度議論しなくてよいのだろうか。3年に一度の改定が意味あるものになることを願っている。