(QP)「地域の役に立つ」ことを経営指針とする地方銀行は、ROE経営を不適切と考え、地元株主を選別するインセンティブを持つ。しかし、地銀は公的事業ではなく株主共同の利益と地域重視は両立できるはずで、株主を選ぶより社外取締役にモニターさせるほうが良い。本文は、新聞による地銀頭取インタビューを読んでの個人的な見解をまとめたもので、スチュワードシップ研究会で議論した成果でも研究会を代表する意見でもないことに留意されたい。

新聞紙上である地銀頭取がインタビューに答えて興味深い発言をした。誰の発言かに注目しないのでここでは特定しない。このインタビューの発言は広く地銀経営者の考えを代表しており、さらに一般に日本企業が「国益」を考える傾向とも類似しており、有用な問題提起と考える。投資家は一般にこのような点について質疑、意見提示の能力を磨くべきだ。

 持合い解消進めるが外国人に持たれたくない

頭取は、持合い解消は勧めるとしながら、「浮動株を外国人に持たれて、議決権行使で自らが望む経営ができなくなるというのはどうなのか」との懸念を示した。この発言はいくつかの興味深い点を含んでいる。まずここで「自ら」とは経営者という意味と受け取ることができる。株主とは必ずしも経営の目標を共有できないが、それ以外の「自ら」が存在し「自らが望む」別の目標を持っているということだ。

主流の経済学・ファイナンスでは、この事態は「エージェンシー問題」と呼ばれる。本来経営者は、株主のエージェントであり、会社法に言う株主共同の利益を追求するために株主総会で選ばれた取締役の中から、あるいは取締役会が選んだ執行役から選ばれる。それゆえ、仕組みとしては株主と経営者に利益相反は本来起こらない。ただし例外的に、経営者が自らの報酬や進退を決めることができる場合、あるいは買収されることを防ぐ策をとることができる場合などに、利益相反が起こるかもしれない。また、自らが所属する従業員共同体や地域との関係から、株主の利益以外の利益を追求するインセンティブが生まれうる。これに対し、経済効率の観点から、一般に経営者の報酬設計を利益等に結びつける、株主や取締役からの監視を厳しくする、あるいは社長の執務室を大きくするなど明確にレントをコストとして認識して株主が与えるなどすることで、エージェンシー問題を極小化しようというアイデアが提示されている。

仮に地銀の経営者のインセンティブが地域への貢献すなわち経済的に不適切と知りながら地域内での融資基準を甘くすることであるとしよう。これは地域共同体への所属意識という経済的な非合理性(例えば少ない利益をさらに分け合ってでも生き延びる考え方)と、事業の長期的な信頼を高めるための戦略(現状の状況が悪いが地域特性などから見極める力があるので引き当てつつ将来の利益を期待する考え方)との両面から検討できる。しかし仮に後者の長期的な合理性が存在するならば、この場合の地域への貢献は投資あるいは将来利益として回収可能なコストとみなすことができるので、「不適切」ではなくなり、株主共同の利益に対してマイナスではない。問題は、長期的に甘い基準が融資費用を拡大するのみである(と認識して融資する)場合だ。地域共同体の中で存在するために不可避のコストであるとしても、その結果生じるマイナスが目に見えるほどの規模で収益に影響を与える場合は不適切だ。より具体的には、本来事業のリスクに応じて分配された資本の要求する利益(資本コストあるいは要求利回り)を下回る利益を全体として継続的に生じさせる経営は、株式会社としてそもそもサステイナブルではない。

仮にエージェンシー問題ではなく、経営が株主に信託されていると考えるとしても、結論は変わらない。エージェントの考え方では株主との利害対立を減らすために報酬制度をより株価や利益に連動させるといった解決策をとる。しかし、これは経営者や機関投資家株主の任期内での成果を求める短期主義を生む恐れがあるとの弊害が指摘される。経営者が単なるエージェントとして経済的利得を最大化するのではなく、法人を良き市民として行動させる業務を負託されているとすれば、より地域共同体との共生を志向するかもしれない。しかし、ある共同体の雇用の維持ために鉄鋼生産を終わらせる決断ができなかった製鉄会社は、結果として終身雇用を守るためにその地域の生産撤退と従業員の他地域への大量異動を行った。このことで、地域は短期のうちに労働力を失い、衰退が進んでしまった。

経営者が(株主も)未来を完璧に予想することはできないので、通常の経済行動はアダム・スミスの道徳感情論に基づく国富論の意味で「見えざる神の手」にゆだねられる。多くの場合、企業の経済合理的な行動は最善の選択となりやすい。仮に恐慌など人々が対応できないほどの規模で悪い変化がある(流動性のわななど)場合、ケインズの意味で政府や中央銀行などの介入が認められる。拙稿の例に当てはめれば、地域共同体が危機的な状態である場合、民間企業が株主のリスク資金を使って恒常的に補助することは適切とは考えにくい。地域経済全体の新陳代謝を促し長期的に繁栄を導くためには、激変緩和的な公的部門の政策と民間企業の利益最大化の論理が両立するほうが適切だ。

ROE経営は地銀には似つかわしくない

株主共同の利益としての利益の最大化(くれぐれも長期的視野によるものであることは、「長期保有と長期的視野の違い」(http://stewardship.or.jp/blogpage/)を参照)が経営者「自らが望む」目標と異なるとすれば、公的機関が社会の要請に基づいて税金で行うべき事業を民間が代替していることになる。その場合、株主が提供する内部留保などを投入して行うべき事業であるとは言えず、株主が預けた資金の事業への投入の観点では裏切りとなる。また、長期的には高い利益率を獲得できる可能性があるが、短期的に利益が生まれないだけであれば、そもそも株主の求めるROEがバリュエーションの理論から当然「今年のROE」ではなくノーマライズされたROEなのだから、株主と経営者に利益相反はない。

ノーマライズされた(正常な状態とみなされる)利益とは、現在のキャパシティで自然に生産できる量を市場に提供すると、景気が過熱でも不況で過当競争などでもなく適切に商品(製品、原材料、労働)に価格付けがなされている状態で、ある企業が獲得すると想定される売上とかかる費用に基づく利益のことだ。特定の年度の利益でも平均でも予想でもなく、「想定」である。

企業価値評価では、未来にわたり同じ投入量に対して同じ利益(マージン)が想定される。もし少ない投入で多くの利益が得られる場合があるとすれば、新販路、新商品、新技術などに基づくイノベーションが行われたことになるが、これを想定する場合、通常利益水準やその成長率ではなくリスクプレミアムに含まれる。通常の企業価値評価では、目に見える既存事業(同じマージンの事業)のオーガニックな成長を想定する。つまり、ノーマルなROEが一定(投入量と利益の関係が一定)になるように、経営者が内部留保額を提案し株主が決定し、内部留保を投入額として利益がROE一定となるように「要求される」ことになる。この要求された利益成長が、(1-内部留保)×ROE=サステイナブル成長率と呼ばれる。

ファイナンスの意味でサステイナブルであるとは、ROEを一定に保つ内部留保を決めることと言い換えることができる。サステイナブル成長を維持すれば、企業価値は一定となり、イノベーションを起こすことができれば、企業価値が増大する(厳密にはここでイノベーションが起こる前のノーマルなROEが資本コストに等しいと仮定している)。ある時点で収益力が低い事業に資本を投入しても、長期的に適切な利益を獲得できると期待できれば、企業価値は概念としては低下しない。

次に、「自ら」の「望み」とは異なる目標を「外国人」が持つことが認識されている。外国人が持つということは、地域についての経営者の特別な判断を許さず、議決権行使で経営者を追い出すか言うことを聞かせ、不当に低いノーマルな利益水準を認めないか、あるいは地域特殊な知識に基づく一時的な利益の低下を容認しないということが懸念だと推察される。

まずノーマルな利益水準が資本コストを超えることが永遠にできないという想定(不当に低い利益水準と呼んだ)が必要であって、外国人がそれを容認しないと懸念するのであれば、すべての株主が容認しないと懸念すべきだ。経済社会は株式会社に妥当な利益の創造を内部留保を含む資本提供によって要求しており、それが株主共同の利益だからだ。逆にいえば、「日本人」という集まりが不当に低い利益を容認するとすれば、日本の株式会社中心の資本主義は、少子高齢化やグローバル化を背景に、機能しなくなる。スチュワードシップが日本の投資家の適切な判断と対話を求めることで機能不全を避けると期待する。

地元株主を増やしたい、株主だけの利益を考えるべきでもない

確かに、日本人は地域での長期的な利益機会を適切に判断するが、外国人には判断しにくい可能性がある。それゆえ、地域特殊的な知識に基づく長期的な利益獲得の可能性と短期的な低収益性あるいはコストの存在は、「株主を選ぶ」ことではなく「適切に情報を提供する」ことで解決しなければならない。

経営モデルを理解してもらえる地元株主を増やすことの趣旨は、ノーマルな状態としての低収益を想定する「経営モデル」=公的事業が株式会社制度として排除されるとすれば、長期的な利益への理解不足を懸念していると推察される。この場合、株主を選ぶことで解決することは、株式会社制度の根幹を揺るがす誤った選択となる。株主は、返済を求めず決まった金利支払いも受け取らない。その代わりに適切な価格付けでいつでも譲渡できることを期待している。特定のグループにしか譲渡できないことは、短期的には流動性低下による価格の不当な低下あるいは低位での推移、長期的には経営モデルの入れ替えを要求する(例えば「外国人」)株主への株式移転につながる。

 

この「経営モデル」が適切であるならば、すべての株主や潜在株主が納得する経営ビジョンと戦略を適宜適切に開示していくか、社外取締役が「経営モデル」が公共事業になっていないかを内部情報を含めモニターしていき必要に応じて投資家と対話するか、その両方かが必要だ。このことで株主共同の利益の追求による適切な企業価値の形成が矛盾なく期待できる。

地域特有の問題(地銀への政策)、国益などとの関係

インタビュー記事に目くじらを立てるのは間違いかもしれない。名前を出しての記事ゆえ、例えば「預金金利をほとんどゼロで我慢していただいている」取引先がデフレ下の実質金利を理解していないと想定した上で、地銀従業員の給料を増やすことすら地元貢献の位置づけざるを得ないとも解釈できる。また、ノーマルな状態ではなく短期的な利益に基づく「ROE経営」があるとすれば、そもそもROEという指標の誤用あるいは濫用であることも確かだ。ただし、それでも外国人より地元株主が望ましいという結論には賛同できない。誰が株主であっても適切に経営するにはどうするか、を考えなければならない。具体的には言語を超えた情報開示や提供の仕組みの充実が、経営ビジョンなど非財務情報の提示とともに必要だろう。

地銀特有の問題としては、地域を重視するリレーショナルバンキングの推進、一方で他地銀との合併による店舗等固定費削減推進、マイナス金利による収益圧迫、リスク資産投資に対する遂行能力の監視などベクトルの異なるさまざまな政策が施されているように見える。地域特殊的な問題にはこのような経営の制約についても考慮を加えねばならない。

しかし、例えば半導体や液晶の製造なども国内で製造し技術を保持することが国益あるいは競争力の維持になるなどの考えがある時期には適切でも、持合いや地元(「日本人」も含む)株主を通じて何らかの特殊な利益のために維持することがいつまでも適切とは限らない。地銀が長期にわたり低収益性を維持する特殊な(公的な)事業を行う業態であると考えることも適切ではない。株主共同の利益に基づき株式会社のフレキシブルな意思決定に任せるならば、適切な事業の選択や会社の得意分野を生かした異業種進出なども可能だが、固定的な価値判断は経済効率を削ぐ。

拙論では、地元、外国人、ROE経営などのキーワードを通じて、短期主義的なROE経営はすべての株主のために排除すべきだが長期的な(ノーマルな)ROEは適切に維持されるべきこと、外国人がだめで地元が株主なら良いとの主張は、適切な情報開示や戦略・ビジョンの提示を怠ることを意味すること、一般に完全な開示が難しいことから不適切な公的事業に陥っていないことをモニターする社外取締役を導入することが適切となることを指摘した。

2016年3月22日版

ペンネーム:QP